2017年08月22日

宗教の役割



宗教は、人間が正しい行いをするにはどうすれば良いかということを、すべての衆生に教える最も有効な手段であるということができよう。

世界の全ての人達がちゃんとした教育を受けているわけではない。

むしろ、高等教育を受けた知識階層はごく一部であり、ほとんどの人達はまともな教育を受けることもなく、社会の底辺で貧困に喘いでいるのが実情であろう。

将来に何の明るい展望もなく、生活を改善する知識も方策もない人々。ただ、黙々と働き続けることでしか生きる術のない社会の底辺の人々。

このような世界中の大部分の人たちに夢を与え、希望を持たせる。

貧しく苦しい中にあっても、生きる意欲を持ち、正しい生活をする為の指針を与えてくれるのが宗教の経典であり、それをわかりやすく教えるのが僧侶や牧師、神父などの神職者である。

難解な教典をわかりやすく優しい言葉で大衆に教え諭す。この神職者の存在こそが大切である。

多くの大衆は日々の生活に追われ、己が人生についての展望も生活するにあたっての指針や規範もない。

そのため、ともすれば本能の命ずるまま己の欲望に従って行動しがちである。

しかし、それではその社会は混乱し止まることを知らない。

そのような人々に、生きる目的や人間として守らなければならない規律や戒律を教える。

それが宗教の神職者や僧侶の役目である。

この場合、ただやみくもにあれはいけない、これはダメ、ああしろこうしろと言ったところで人々が唯々諾々と従うわけはない。

そこで、戒律や規範に従わ無ければ死後地獄に落ち、戒律を守り善行を積めば極楽に往生できるということをわかりやすく教えれば、ほとんどの人々はこれを信じ、従うようになる。

これは、有史以来行われていたことで、下は奴隷に落とされた人々から上は王侯貴族まですべての人々をその宗教に帰依ししんじゃとなった。

悲惨な境遇にある者は、神様の教えに従って生活すれば、死後は極楽で夢のような幸せな生活が待っているし、王侯貴族と言えど、悪逆無道な行為に明け暮れれば死後は地獄の業火に焼かれる。

このように、下は奴隷から上は君主まで同じ宗教を信じていればこそ、国民大衆は苦しい日々の中でも希望をもって生きてゆける。

また、君主とて同じで地獄に落ちるのを恐れ、極楽往生したいがために国民を徳や温情をもって統治する様になる。

もちろん例外はある。

それは、本心からその宗教の教えに同意してないか、己が我欲に負けた場合、或は精神的な病を持っている場合であろう。

しかし、それは、全く宗教というものの存在しない共産党一党独裁の国の悪虐無道さとは全く次元の異なるはなしである。

共産主義国の独裁者の悪逆さ残忍さは、全く救いのないほどひどいものであることは歴史が証明している。
ラベル:宗教 人々 地獄 極楽
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2017年08月19日

共産主義国の行き着くところ


今、現代社会において、共産主義社会が如何に国民のためにならない国家体制であることか。

そして、共産党一党独裁のその党主は、激しく凄惨な権力闘争の挙句、独裁者となる。

このことはこれまで述べてきたとおり共産党一党独裁国家の必然である。

独裁者は自分に敵対する者や得にならない者は全て粛清し、強権をもって人民を支配する。

そして、政権に対する批判は一切許されず、これをなすものは徹底的に弾圧され、虫けらのように殺害される。

そして、人民はお互いに監視しあい、密告し合う。

保身の為、或は僅かな金銭の為に親が子を、子が親を、兄弟同士で密告しあうことも稀ではない。

その為、身内といえど心を許すことができず、常に相相克する地獄のような世界である。

共産主義、社会主義というものは、本来は人民が主役であり、すべての国民は平等であり、身分や地位の差などないはずである。

本来ならば、全ての権力と富を独占する独裁者など、存在すること自体が大間違いであろう。

しかし、現実はそうはならない。

共産主義国は、例外なく共産党一党独裁であり、必ず独裁者が存在する。

北朝鮮など、独裁者の世襲が三代も続き、その間、他の国では考えられないほどの激しい粛清や弾圧が行われ、国自体があらゆる麻薬や拉致、暗殺などあらゆる犯罪に手を染めている。

挙句の果てには、甥が叔父を虐殺し、実の兄まで暗殺する。

国民は貧困に喘いでいるのにそれには目もくれず弾道ミサイルや核爆弾の開発に血道をあげる。

これではマフィアや暴力団の親分のほうが遥かにましではないか。

一方、中国は創設以来あくなき権力闘争に明け暮れ、大量の知識階級や富裕層は、文化大革命のときに夥しい数の人々が惨殺され、天安門事件においても一体どれほどの人たちが殺害されたかわからない。

そして、常に他国への侵略を繰り返し、チベットやウイグル人を征服して自国の領土に組み入れ、最近では南シナ海に滲出し、日本の尖閣列島から沖縄まで虎視眈々と狙っている。

また、その国民は、言論思想統制により、何一つ正しいことを教えられず、共産党のプロパガンダに乗せられて思うように操られている。

北朝鮮や中国、これでも近代国家と言えるだろうか。

この独裁者、つまり、金正恩や習近平を、中世の王様と呼び代えてもさほど間違いはないのである。

普通なら、途中で反乱や革命が起きても何ら不思議ではない。

歴史を辿ればほとんどの国で革命が起きている。しかし、この2国では建国以来、国民がそのような行動に出ることはなかった。

それは何故かというと、徹底した弾圧と思想や報道に対する統制と、共産党のプロパガンダによる国民の洗脳である。

つまり国民はなんら正しい知識を与えられず、共産党の政策に盲目的に従うのみ。

生まれ落ちたときからこれをやられれば、善悪の判断も正誤の認識もなくなり、ただの共産党の操り人形と化してしまっているのである。

彼らは何ら宗教も持たず、神の概念もない。霊魂も地獄も極楽もないのだから、どんな悪事でも平気でやってしまう。

ただ現世を如何に人より楽に生き、他人より得をすることしか考えない。

他国に潜入し、他国民を誘拐拉致しても、親兄弟を殺害しても屁とも思わね。

良心の呵責を感じることもなく、ただあるのはむき出しの我欲のみである。

つまるところ、国民に宗教(カルトや新興宗教ではない)無き国は、いづれは独裁国に陥り、国民は塗炭の苦しみを舐めることになるのである。


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2017年08月15日

宗教の国家的価値について


現代日本人の価値観は他の国の国民と大きく違っている。

もっとも大きく違うのは宗教と愛国心であろう。

他所の国、但し、共産国は除くが、そのほとんどの国民は、世界三大宗教の信者である。

世界一の先進国であるアメリカ合衆国でさえ宣誓するときは神に誓うし、他のキリスト教国でも同様である。

一例を挙げれば、ニュージーランドの国歌は「God Defend New Zealand:神よニュージーランドをまもりたまえ」で、これは正に神の加護を願うものであるし、キリスト教が国家の精神的支柱となっていることは間違いない。

その隣のオーストラリアやヨーロッパ諸国においても、その精神的背景には必ずキリスト教の存在がある。

また、イスラム教の国々では、法律そのものがコーランの教えを使っている国も多い。

タイやミャンマーなどは国民生活に直接仏教が結びついているし、インドなどはヒンズー教そのものがカースト制度を形成し、国民生活の一番重要な部分を占めている。

このように、他の国では必ず何らかの宗教が、政治的にも精神的にもその国家の運営に直接間接に大きな影響力を持っているのである。

われわれ日本人からすれば、ISなどはイスラムカルトそのものであるし、カルトイスラムが彼らの戦争を含めてすべてを支配していることが理解できない。

しかし、これは、世界の標準からすれば、我々日本人の方が例外なのであって、何のバックボーンたる宗教も持っていないことのほうが珍しいのである。

国家として宗教を否定している国は中国、北朝鮮の共産主義の国であり、我が日本は政教分離を謳い、政治の場からは一切の宗教は排除されている。

昔は旧ソ連の内にあった国々も、宗教とは無関係であったというよりむしろ弾圧していたが、ソ連崩壊後はそれぞれ以前の宗教に復帰している。

つまり、宗教をの持たない国は、僅かに残った共産主義の2国と日本のたった3国でしかない。

現在の共産国の中国と北朝鮮の共産主義の基は、ソヴィエト連邦であり、ソ連の共産主義はマルクス共産主義思想である。

マルクスの共産主義は徹底した唯物史観であり、神や仏などの存在を否定し、一切の宗教とは縁を絶っている。

では、宗教とは何であろう。

三大宗教と言われるキリスト教やイスラム教、仏教やユダヤ教、ヒンズー教などの国家宗教に共通することは、人々に義務と戒律を与え、神や仏に奉仕と祈りをささげることにより、来世や今生に救いと希望を与えているのである。

国家は、現世しか国民を守ることはできないが、宗教は死後もなお、信者の魂を救済してくれると信じられている。

現生で悪事を働けば地獄に落ちるし、善い行いをすれば極楽に行く。極楽に往生すれば未来永劫一切の苦しみから解放されるということから、人々は悪事は行わず、善行を積むようになる。

その結果、争いはなくなり治安は良くなる。人々は安心して生業に励み、平和に暮らすことができる。

このように、有史以来、宗教は、多くの人々の心と生活を救ってきたのである。

つまり、宗教は人間が生きてゆくうえでなくてはならないものであり、むしろ国家や王朝以上に国民大衆にとって必要欠くべからざるものであった。

ただし、問題は中国や北朝鮮のような共産国である。

彼らはマルクスの唯物論により、一切の神や仏を信じないし、ややもすると弾圧まで行う。

手に触り、目で見えるものしか信じない。そして、地獄や極楽などあるものかと思っている。

人間死ねば終わり。死後の世界などあるわけがない。そう信じている。

それ故、生きているうちに思い切り好きなこと、やりたいことをやる。いくら悪いことをしてもばちも当たらないし地獄に落ちる心配もない。

罰をあて、極楽に誘う神や仏なぞいないし、そもそも死後も霊魂など存在しないのだから。

こうして、神仏や死後の世界を信じない国民はどうなるのだろう。

お互い、自分の利益のみを追求し、欲望のままに動く。そのためには犯罪を犯し、たとえ人を殺めても一向にかまわない。

こうして、神無き衆生はお互いに相克し合い、その国は地獄の様相を呈する。

このような相相克し、あくなき権力闘争の末、権力を握った最高指導者はどうするか。

自分に都合のよい法律を作り、強権をもって国民を縛り、統制する。

秘密警察により国民を監視し、少しでも反抗するものがいれば容赦なく逮捕、粛清される。

国民同士がお互いに監視し合い、密告しあう。

理づめで考えれば当然このような結論に達するのではなかろうか。これが共産主義国のなるべき当然の姿である。

これら共産主義国の最高指導者、つまり独裁者は例外なく、激しい権力闘争のすえ、全ての権力を握る。

彼の歩んだあとは死屍累々としてその数は数え切れぬ。

ソ連のスターリン、中国の毛沢東、カンボジアのポルポト、北朝鮮の金日成など例外なく、思想統制、権力抗争、粛清、大量虐殺を行っている。

これは、神仏や霊魂、死後の世界を否定し、宗教を弾圧しているマルクスの唯物論を信奉している共産国の宿命なのである。

つまり、共産主義国とはまさにこの世の地獄であり、それ故、ソ連崩壊の後には多くの東欧諸国はどの国も共産主義国に戻らなかったのだ。

しかし、中国、北朝鮮、キューバの三国のみが社会主義体制を維持してきた。

そのうち、キューバは、極東の2国ほど強圧的ではなかった。これはカストロ議長の仁徳によるものであろう。

彼は、ある意味、共産主義の理想的な形で国民のための政治を行った。

キューバの国民は、貧しくはあれど、他の二国の国民に比べてはるかな幸福な生活を送っている。

これは、キューバは基本的に宗教は自由で、その多くはカトリックであることによる。

つまり、同じ社会主義国といっても、信奉する宗教があるのとないのではこれほど大きな差が出てくるのである。

宗教の存在の有無は、その国を地獄にも極楽にも変えるのである。

ラベル:宗教 共産主義
posted by HOK大臣 at 16:24| Comment(0) | 信仰 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

平和と愛の欺瞞

今年になって政治やマスコミについて批判した記事を多く書いてきた。

それは、戦後の我々日本人が、本来、我が父母、曾祖父母の持っていた素晴らしい徳性を全て失ってしまっていることに思い至ったからである。

何故だろう。

我々は、何故、かくも変わってしまったのだろう。

現代の我々と、2〜3代前の御先祖さまとの大きな違いはなんだろう。

それは現代日本人が、先祖、特にもっとも身近な存在である父母や祖父母のことについてあまりにも無知であり誤った知識しか持っていないこと、そして知ろうともしないこと。

大東亜戦争以前の日本の文化や教育、体制など全てにおいて戦争に結びつけられ
愚かで悪いものとして切り捨てられていること。

また、戦前はあれほど信心深く、神仏を身近な存在として斎き祀ってきた日本人が、戦後は、神社は初詣や七五三、せいぜい車を購入したときのお祓いぐらいしか縁が無くなってしまっていること。
お寺は、盆と葬式しか縁が無くなり、単なる葬式仏教になってしまっている。

その結果、今の我々は、自分の目で見、五感で感じられるものしか信じず、全て、科学で説明できるものしか信用しなくなってしまった。
病気は医療技術で克服できると信じ、目に見える豊かさの証拠であるお金だけが価値判断の基準となっているのである。

そこには同胞に対する気使いや思いやり、神仏に対する畏敬の念、繊細で豊かな感性など目に見得ぬもの、手に触れぬもの、そして直接お金に結びつかない物はその殆どを失ってしまった。

我が国民の豊かで繊細な感性を失わせたものは何か。
それは、戦後70年にわたって大衆に左翼思想を植え付け、平和だの愛だのという単なる観念でしかないものを至上のものとして頭脳深く染み込ませたマスコミである。

そのせいで、我が国民は平和だ、愛だのといえば、そこで思考停止してしまい、これらのキーワードを持ち出せばそれ以上考えることなく安易に受け入れてしまう。

昭和戦後世代の頭のなかがお花畑と言われ、平和ボケさせたのは全て、マスコミの罪である。

世界のどこを見渡しても、このような愚かな国民は存在しない。

戦争は誰であっても良いというものはいない。平和が良いというのは当たり前のことである。
戦禍に苦しんだ我が国民にすれば、もう戦争はたくさんだ、平和がよいというのは当然のことであろう。

しかし、現実問題としてそれを日本国民がいくら望んでも実現するのは無理である。
それは如何なる国であろうとも同じである。

なぜならばそれは相手があるからである。

如何に自分が「戦争はいやだからよしましょうね」と言っても、相手が戦争を仕掛けてくればどうするのか。

ベルギーとルクセンブルグ。この二国はロンドン条約により永世中立が認められていた。
しかし、この二国は第一次世界大戦ではドイツ帝国に、第二次世界大戦ではナチスドイツに蹂躙されている。

如何に平和をいうものが言葉だけの空虚なものであるかという何よりの証明であろう。

「我が国は平和憲法で戦争はしないと決められているから絶対戦争はしない」といくら言っても、そんなものが世界に通用するわけがない。

今まで我が国が安泰であった最大の要因は、一に日米安保条約、二に地理的要因、つまり周囲を海に囲まれていたため、あえて海を渡ってまで侵攻してくるだけの力のある国が周囲に存在しなかっただけの話である。

ところが、状況は一変している。
海を渡って侵攻してくる国力も技術もなかった中国は、日本やアメリカとの交易により、膨大な財力をつけ、急速に国力を増加させた。
そして、今や、尖閣列島はおろか、沖縄までその傘下に収めようと虎視眈々と狙っているし、北朝鮮のミサイルはいつ何時降ってくるかわからない。

そんな危機的状況にあってもなお、森友加計問題で安倍降ろしを半年にわたって繰り広げている野党と組んで国民の意識誘導を行い、とうとう安倍政権の支持率を一割近くも下げてしまったマスコミは、今現在もなお国民の意識を支配しているのである。

この問題は、実は何の問題もなく、ただ野党のいちゃもん、言いがかり、ゲスの勘繰り以外の何ものでもなかったことが青山繁晴氏の説明で明らかになった。
しかし、多くの愚かな視聴者は、それを理解することができず、マスコミ、特にテレビのワイドショウに操られるまま騙されてしまった。

このように、テレビの言うことには手もなく騙されてしまった大衆のなんと多いことか。

つまり、今の国民はマスコミ、特にテレビに支配され、彼らの望む通りに行動する操り人形といってよい。

このような自分でしっかりした思想や信念も持たず、ただ、テレビなどのマスコミに操られるままに動く国民が賢明な民主国家の国民と言えるのだろうか。

愚かな大衆による民主政治。

これを衆愚政治という。

このように、我が国民は、敗戦によりそれまで持っていたすべての美徳や信仰、価値観をGHQによって否定され、変わりに平和、愛などの観念を至上のものとして与えられた。

実は、この二つの言葉はキリスト教の観念であるので、キリスト教徒以外の日本国民には意味がない。

その空虚な愛と平和という幻の観念を至上のものとして国民に見せ続けてきたのはマスコミ、特にテレビであることは今まで散々言ってきたところである。

その為、我が国民の頭の中はお花畑、平和ボケと称されるようになって久しい。

こうして戦前の我が国民、つまり大日本帝国臣民と今の日本国民と比べてみればまるで月とすっぽん。なんという情けないことだろう。

現在の国民には、その思考の基準となる確たる道徳も、神仏に対する信仰もなく、先祖に対する崇敬の念もない。

このような国民にした張本人はマスコミ、特にテレビである。

国民の脳味噌に花を植え、耳に平和、平和とささやき続け、愛は至上のものという幻を見させていたのは毎日無自覚に見ているテレビである。

つまり、我々はテレビにより洗脳されてきた結果、先祖に対する崇敬の念や神仏に対する畏敬の念、繊細で豊かな文化や感性を失ってしまい、今は単なるマスコミの操り人形と化してしまった。

ここで今一度振り返り、自分はテレビやマスコミの言うことをなんら批判することなく無条件で受け入れてはいまいか。

大切なことは、テレビやマスコミの言うことを一度全て否定してみることである。

そして、常識を働かせて角度を変えてみる。

例えば、テレビのワイドショウで言っていることは、公平であるか。反対意見も公平に報道しているか。

また、今、いつ何時北朝鮮の弾道ミサイルが飛んでくるかもしれない時に、そっちのほうはほったらかしで森加計問題で半年以上も貴重な時間と国民の予算を消費することが果たして適当なのだろうか。

こうしてあらゆる角度から見直してみれば、テレビのワイドショウのメインキャスターやコメンテーターの言うことが正しいかどうかがはっきりしてくるのである。





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2017年08月03日

マスコミは洗脳装置であることを忘れてはいけない



マスコミが洗脳装置であるということは、もっと多くの国民が知らなければならないことである。

過去、多くの独裁者や国家がマスコミを利用して国民を思うように動かしてきた。

特にヒトラーなど、実にうまく映画やラジオ、書籍などのマスコミ媒体を利用してドイツ国民を洗脳し、あの大戦に駆り立てたのである。そして、敗戦まで国民大衆はその洗脳から覚醒することがなかった。

戦後の昭和の大衆の思想を大きく左に捻じ曲げたものは朝日、毎日などの大手有力新聞であるし、その系列下のテレビ局である。

その大元をたどれば戦後のGHQのWGIP(ウオー・ギルド・インフォーメーション・プログラム)にたどり着く。

このWGIPにより、過去の日本の行動や歴史はすべて悪であり、愚かな行為として日本国民の心に深く植え付けられてしまった。

その道具として使われたのが新聞ラジオなどのマスコミであった。

本来は、GHQによる日本占領の終わった時点で、修正されるべきものであり、当然、押し付けられた平和憲法も改憲されなければならなかった。

しかし、そうはならなかったことは歴史が証明している。

当時、国民は、GHQに押しつけられら所謂平和憲法を信奉し、疑うものはいなかったし、ソ連のコミンテルンのプロパガンダにすっかり洗脳されていた。

戦後、ソ連によりシベリアで洗脳された捕虜や戦時中は国外に逃亡していた共産主義者が帰還し、国内に潜伏していたり、刑務所に入っていた政治犯たちがマスコミを通じて国民を洗脳していったのである。

これも、ソ連が崩壊した後はその過ちに気づき、修正されるべきではあったが、何故かそうはならなかった。

依然として国民の平和ボケは治らず、自虐史観から逃れられない国民が大部分である。

これは何故かというと、マスコミが変わっていないからである。

確かに新聞の影響力は減少した。ラジオはほとんど聞く人とていない。

しかし、それに数倍する効果を持つテレビが主役を務めるに至る。
マスコミを使って日本国民を洗脳したのはGHQであるが、彼らが去った後に残ったのは、洗脳装置としてのマスコミであった。

これを利用して引き続き日本国民を洗脳し続けたのは、大量に復員してきたり国内に潜伏していた共産党員や社会主義者達である。

彼らは、マスコミの洗脳装置のシステムをフルに活用し、ソ連のコミンテルンの手先となって我が国民を左翼思想に染め上げていった。

特に、テレビが登場してからというもの、その視聴覚効果は絶大で、彼らはその威力を最大限に活用したのである。

前にも言ったことであるが、主にマスコミの武器として使ったのは、所謂3S、つまりスクリーン、スポーツ、セックスである。

スクリーンは当初は映画であったが、テレビの登場後はそれがテレビの変わった。

スポーツは一見関係が無いように見えるが、実は、これほど国民大衆に大きく影響を与えるものはあるまい。

セックスに至っては、本来、これは人間の本能ともいえるもので、戦前の貞操観念の堅固な女性を律してきた道徳のタガを外してやればよかった。
戦後、この道徳の代わりに自由という観念が広められ、何をやっても犯罪さえ犯さなければかまわないという考えが蔓延した。
とくに、戦争から解放された解放感とも相まって、性に対するタブーはなくなり、現在のように何の歯止めもない自由奔放な性を謳歌する社会情勢となってしまっているのである。

ソ連が存在している間は、コミンテルンの呪縛が我が国のマスコミを支配していたが、ソ連崩壊の後も、マスコミを動かしていた人物やシステムはそのまま残って、現在も国民を思うがままに操っているのである。

今年に入ってからの森友加計問題について、テレビによる印象操作と、その決果としての阿部政権の急激で大幅な支持率低下はまさに世論を牛耳り国民を洗脳しているのは洗脳装置としてのマスコミ、特にテレビそのものであるということを如実に物語っているのではあるまいか。

テレビ放送が始まって以来60年、テレビは一貫して我が国民の洗脳装置であり続けた。
放送当初からその主張は左翼の代弁者そのものであったし、上記愚民政策の道具、3Sをもって我が国民の思考力を削いだうえ洗脳し、愚民化してきたのである。

恐ろしいことには、いままでそのことに誰も気が付かなかったのである。

ただ、最近の若い人達はネットの普及により、このことに気付き始めたことがわずかながら救いであろう。

マスコミ、特にテレビの洗脳にかからない方法は、自分の頭でよく考え、テレビの司会者やコメンテーターが言っていることはすべて嘘だと考える。そのうえで良く考えてみることである。

さもなくば、いつの間にか彼らの術中にはまり、気が付くと洗脳され操られていることになりかねない。

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2017年07月31日

現代日本人の失ったもの



最近、このブログの主題とはおよそかけ離れているように見える戦後政治の問題を集中して考えてきた。

実は、現代日本人は戦前の我々の祖父や父母とは価値観も感性も全く別物となってしまっているのである。

これは一体何故なのか。なぜ我々はかくも変わってしまったのか。

この変わったということは、私は良い意味で言っているのではない。

戦前の我々の祖父母達は、極めて高い徳性と繊細な感性を持っていた。そしてその根源は、神仏に対する畏敬の念と、篤い信仰心であり、祖先に対する深い感謝と尊敬であった。

ところが現在はどうか。
先祖の持っていた美徳は全て失われ、ただ残るのは自己顕示欲と金銭欲、我欲のみでありはしまいか。

戦後70年以上たち、日本は偉大な経済成長を遂げ、科学技術は昔なら夢と考えられたことまで実現している。

その進んだ科学技術をもとに私達の生活は格段に進歩しているし、豊かになった。

昔なら神仏に頼るほか方法がなかった難病も医学薬学の発達でわけもなく完治する。

断熱性の高い住居や冷暖房器具のおかげで冬の寒さや夏の暑さにも関係なく一年中快適に過ごすことができる。

市場には物が溢れ、欲しいものは何でも手に入る。

戦時中から考えればまるで極楽である。

国民の生活そのものがここまで変わったのだから日本人の思想や考えが変わって当然だろうと多くの人が考えている。

しかし、変わったのは生活環境の方である。

人間そのものが進化したわけでも賢くなったわけでもない。

むしろ人間として、いや、日本人としての質は大幅に低下している。

人間として備えるべき仁徳、日本人としての品性、そして何よりも価値観が変わってしまった。

戦前の日本人の持っていた弱いものに対するいたわりや援助、恥の観念、そして、神仏や先祖に対する崇敬の念、信心から来る精神的な清冽さ。そして、長い歴史から継承した豊かな日本文化。

これらは、幕末から日本に来航した欧米人の等しく驚嘆するところであった。

ところが現在の日本人を見てみよ。

精神的な豊かさも美しさもない。あるのは我欲、拝金主義のみであろう。

あらゆる価値を金銭で計る。儲かれさえすれば法律に抵触さえしなければ何をやってもよい。社会全体がそうなってしまった。

あらゆる業界、産業界が消費者を騙している。

実は、加入すれば損するだけの生命保険や医療保険。本当に美味しいものなど存在しない食品業界。

昭和40年代まで存在した本当に美味しかった飲食店は無くなって久しい。

今では町おこしのためのB級グルメと称して開発された美味しくもなんともない料理や食品の数々。そんなもの、いくつ作ろうが決して人々の心を満足させはしない。

20〜30年しか持たない、しかも味もそっけもないプラモデルのような住宅をバカ高い価格で売りつける住宅業界。
先祖伝来の趣ある家族の歴史の刻まれた住宅を取り壊し、このようなベニヤ合板と新建材の塊のつまらない家をありがたがって建て替える。
その結果が、家族がシックハウス症候群に悩まされることになる。

効きもしない自然食品やサプリメントを欧米の3倍以上の高値で売りつける。また、薬害で患者が死亡してもろくな保証もしない医薬品業界。
その医療業界と結託してメタボ検診などという何の正当な根拠もない制度をつくり、大量にコレステロール低下剤を消費させる。
その結果、健康な体をもった人が癌に犯され、命を落とす結末となる。

農作物は品種改良により、ただ甘いだけの個性を失った農作物。

特に、日本伝統文化の基礎であるお茶についても、今では昔ながらの在来種に代わってやぶきたなどの品種茶が生産量のほとんどを占めている。

いまでは、ほとんどの日本人がこのやぶきたの味が昔ながらのお茶の味と信じているが、これは、昭和40年代以前まで飲まれていた在来種とは全くちがっているのだ。

その他の大部分の農作物も大なり小なり品種改良により、その本質まで変えられてしまっている。

伝統工芸品なども、昔の神業とも思える超絶技巧など、戦後に生き残った名人達が鬼籍に入った後は、その技術の伝承は絶えて久しい。

このような例は、あらゆる業界に及び、その価値基準が、そのものの品質とはかかわりなく、ただ、売れるか売れないかだけで判断される。つまり、お金がその価値判断の基準になっているのである。

厄介なことは、形は確かに残っていることなのだ。

そのため、ほとんどの人達はいつの間にか中身がすり替わっていることに気がつかない。

これは、伝統芸能やあらゆる文化や物までの広範囲にわたり、外郭は確かに残っているため。外から見れば何も変わっていないように見える。

今も70年前もなんにも変わっていない。ほとんどの我が国民は、そう信じ切って疑わぬ。

しかし、実は、中身の本体は、全く違うものと入れ替わっている。

極言すれば、中身が偽物にすり替わっているともいえるのである。

その入れ替わっているもの。それは金儲けを目的とした組織、つまり集金システムにかわっているのだ。

それ故、儲けになるか否か、儲けになれば価値があり、儲けと結びつかなければ何の価値もないのである。

本来、日本文化たるもの、その基本は神仏への感謝と奉納であった。

全国の祭りや踊り、神楽などは、神仏に感謝し、その喜びを奉納し、神仏とともに楽しむ。そういったものであった。

一例をあげよう。

相撲もそうである。

相撲のあらゆる動作には神への奉納ということが見られる。

横綱の腰に巻かれた綱には紙垂(しで)が垂れ下がっている。塩を撒くのは土俵を清めるためである。ただ、何の意味もなくやっているわけではない。

このように、相撲は、もともと神様への奉納相撲であった。決して見世物として観客からお金を取る。つまり金儲けのためではないのである。

神様に楽しんでもらうためには、あくまで正々堂々と立ち合わなければならないし、品格のある立ち居振る舞いが大切である。

卑怯なことや、下品な行動は慎む。何しろ神様にお見せするのだから。

ところが現在はどうか。横綱などの上位を占めるのはモンゴルなどの外国人ばかりではないか。

彼らに日本の神々に対する畏敬の念はあろうはずがない。もっとも、日本人力士そのものがそのことを忘失し、相撲は金儲けのための職業としか見ていないのだからあまり違いはないのだが。
力士が自分のことをアスリートと言ったり、格闘技に転身することなどでその意識のありようがわかろうというものだ。

つまり、現在の相撲は、さまざまな昔ながらの伝統的セレモニーを織り込んだスポーツにかわってしまっている。

これは、各種のお祭りや盆踊りが、町おこしや集客のためのイベントとなっていることとなんら違いはない。

つまり、いまや、あらゆることの目的が金となり、すべての人の行動が金儲けの手段となっている。
そして、ものの価値は全てお金の多寡により判断される。

最近、マスコミにより盛んに言われている、漫画やアニメ、ゲームなどは現代の日本の世界に誇るべき文化だというもの。

これなど、その価値をお金で判断した結果であろう。

これらに共通しているのは、もともと子供の娯楽である。

確かに子供の頃、漫画を読み、アニメに夢中になった。そしてゲームの虜にもなっただろう。

しかし、大人になるに従い、知識は増え、感性は成長する。当然、これらの子供の娯楽は卒業していなければならないはずである。

所詮、子供の娯楽でしかないものである。

こんなものが日本の新しい文化であるはずがない。

確かに、アニメのなかには大人の鑑賞に堪える優れた作品はあろう。しかし、それはその作品が優れているということであって、けっしてこれらの子供の娯楽そのものが日本の文化として世界に誇るべきものでもあるまい。

問題は、いい大人が漫画を読みふけり、アニメやウルトラマンや怪獣ものの子供向けドラマに夢中になる。そして、未だにゲーム中毒から抜けきっていないことのほうが問題であろう。

このように、金銭の多寡だけをもってものの価値を判断することの愚かしさをよくよく認識すべきである。

こうして、戦前我々の父や祖父持っていた日本独特の高邁で精神性の高い文化や豊かな感性、そして神仏に対する畏敬の念と先祖に対する感謝。謙虚で恥を知る文化は失われ、集金マシンと化し、儲けになるものだけの外郭が残っているだけなのである。
ラベル:価値観 人間 お金
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2017年07月20日

平和憲法を信奉する平和呆けの日本国民


前に、平和憲法たる日本国憲法はただの日本国民の夢想でしかないということを説明した。

では、なぜ、今日に至るまで、戦後70年にわたりこのような憲法を信奉してきたのか。

それは、この日本国憲法が法律の根本である憲法であることと、戦後の昭和、平成に入っても我が日本国民が平和呆けしているからに他ならない。

我々は71年前、戦争の惨禍をいやというほど思い知らされた。

あれだけの惨状を経験すれば、当然、厭戦感をもって当然であろう。

しかし、先の大戦で、ひどい戦禍をうけたのは我が国だけではない。

枢軸国として戦ったドイツ、イタリアなどは、国内まで攻め込まれ、蹂躙されたのである。

連合国側でもフランス、ソ連、ポーランド、オランダ、ベルギーなども、国土が戦場となり、その惨禍は我が国に劣らない。

わが日本は、確かに大都市は空襲により焼きたてられたが、沖縄を除いて本土が戦場となったわけではない。

その意味では、むしろ、国土が戦場となったヨーロッパ諸国よりましではなかろうか。

しかし、どのヨーロッパ諸国も戦争を放棄した憲法をもっているわけでもないし、平和呆けしてもいない。

同じ条件の敗戦国であるドイツやイタリアでさえ、ちゃんと軍隊を持ち、その国民は正常な国防意識をもっているのである。

この差は一体何故なのか。

米占領軍、GHQによる徹底した戦前の文化や体制の破壊と米国の占領に都合のよい体制と思想の再構築。

その手段として使われたのが3S政策、つまり、スクリーン、スポーツ、セックスで大衆の関心を政治から逸らせ、その間に、日本人の価値観を変えていったのである。

その道具として使われたのがマスコミであり、その目的とするところは、日本国民を愚民化することであろう。

そして、その新しい国家体制の基本に据えたのが日本国憲法である。

普通なら、昭和27年にサンフランシスコ講和条約が公布され、日本が独立を果たした後には、占領下の憲法ではなく、独立国としての憲法が定められるべきであった。

しかし、なぜか新しい日本国憲法は作られることがなかった。

当時はまだ先の戦争の傷跡が残っており、国民ももう戦争はたくさんだと思っていた。

また、戦争を放棄し軍備を持たなくて済むことは、国家の財政の上でも有利であり、日米安保条約も締結したことから国家の安全上も不安がない。

当時の吉田内閣は、まだ戦禍の残る国土や国民の厭戦感などを考慮して、早急には憲法改正の必要は認められなかったのだろう。

しかし、朝鮮戦争が終わり、日本にも軍備を整える必要がでてきたのであるが、自衛のための最小限の軍備しか持たされることはなかった。

これも日本国憲法の第9条の1項と2項によるもので、現在に至るまで自衛隊が軍隊として活動することへの手かせ足かせとなっているのである。

我が日本国憲法は、成立以来、一言一句改編されることがなかった世界でも類を見ない古い憲法である。

成立後、70年以上も全く変えられることがなかったということは、我々日本人は、終戦直後の大昔の憲法で、現代の生活の規範としていることになる。

この70年でどれほど社会が変わり、我々の生活も変わったことか。

それなのに憲法は終戦直後の占領下のままである。
これは明らかに不合理である。

これでは、秒単位でかわる世界情勢に対応できるはずがないではないか。

大体当時とは世界そのものが変わってしまっている。

ソ連は崩壊し、中国国民党政府は台湾に逃げ、中国は共産党一党独裁の中華人民共和国にかわった。

欧米列強の植民地であった東南アジアやアフリカ諸国は独立して世界地図はまるで違うものとなってしまった。

世界がこれほど変わってるのに我が国の根幹をなく憲法は一向に変わらない。

これは一体何故か。

その大本は、GHQによる「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」である。

しかし、これは、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本が独立した後は消滅するはずであった。

しかし、実際は消滅どころかますますその効力は拡大し、今や、国民全体を洗脳し、思うように操り続けているのである。

その原因を、ケント・ギルバート氏はその著作のなかでこう言っている。

日本の戦後の思想状況を一言で表すと「GHQが残した負の遺産を左翼が徹底的に利用して、日本人を洗脳してきた」ということなのである。

この日本人洗脳の道具として使われたマスコミのなかで、最も威力を発揮したのはテレビの映像メディアである。

戦後、国内に潜み、或は外国に逃亡していた共産党員や社会主義者、そして、ソ連によりシベリアに抑留されている間に洗脳された捕虜達。あるいは、中国の延安に亡命していた野坂参三の洗脳工作を受けた旧日本軍兵士などが大量に復員してきて、戦後の日本の思想を支配した。
当然、その背後にはソ連コミンテルンの意志が働いていたことは言うまでもない。

ソ連は、日本降伏の後、その混乱に乗じて満州に侵攻し、北方領土を占領した。

彼らが恐れたのは、日本が再び軍備を整え、ソ連に占領された領土を奪還することであった。

それを防ぐには、日本国憲法の第9条の1、2項を堅持させること。日本国憲法を変えないことであった。

その為には、日本国民に平和という幻想を抱かせ、それを唯一無二の事として平和憲法を堅持させたのである。

また、日本国民の洗脳のために、あらゆるマスコミ、メデアを動員して、彼らのプロパガンダを吹き込み、洗脳していった。

なかでも視聴覚に訴えるテレビの効果は絶大であり、その結果、この頃の日本人全体が左翼思想に同調し、平和という概念を至上のものとして確信していたのである。

そして、ソ連が崩壊し、コミンテルンの圧力が消え去った後にもこの日本国民洗脳システムとしてのマスコミ、特にテレビは生き続け、多くの無知な国民を平和第一主義へ導き、平和呆けを生産し続けているのである。

このように、日本国民を平和呆けさせている大本は、日本国憲法第9条1項及び2項であるので、我が国が他国並みに健全な国防のための軍隊を保持するためには、この二つの項目を削除するほかに方法はない。

これがある限り、日本人は永遠に平和呆けから覚醒することはないであろう。


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2017年07月14日

日本国憲法の欺瞞


日本国憲法の前文には、次のような記載がある。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・・・」

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において・・・・・・」

つまり、日本国憲法は、他の諸国の国民が平和を愛する国民であり、彼らの公正と信義を信頼し、国際社会が、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとしていることが大前提となっている。

日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布され、翌年の昭和22年5月3日に施行されている。

前述のように、この憲法の大前提としての条件は、他の諸国の国民が公正と信義を持つ平和を愛する国民であり、国際社会が平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとしていなければならないのである。

では、当時、そのような立派な国や国民が、この地球上に存在したであろうか。

当時も今も、そんな国も国民も存在するわけがない。

あるとすれば、それは空想の世界であろう。

大体、この憲法を草案した米国が一体何をやったのか。

日本国じゅうの小都市を焼夷弾で焼き払い、広島長崎に原爆を落とし、無辜の住民を虐殺したではないか。

そんな国が、この憲法を日本に強いる資格がどこにあるというのか。

他の連合国だって大なり小なり似たようなものだ。

イギリス、オランダは東南アジアの植民地でその原住民を奴隷のように扱い、オーストラリアにしても、原住民のアボリジニを大量虐殺した過去を持っている。

ソ連に至っては、もはや言うべき言葉もない。

当時のソ連の独裁者、スターリンは、日ソ不可侵条約を一方的に破り、満州、朝鮮、北方領土に侵攻し、膨大な数の婦女子を暴行し、殺害している。

当時のソ連軍の悪質さは言語に絶し、私が聞いた話では、彼らは略奪した腕時計を腕にいくつもはめ、殺害した日本人の金歯まで抜き取ったという。

当時、満州にいた民間人は150万人ほどであったが、帰国できたのは105万人。残りの45万人が殺害されたことになる。

そして、終戦により抵抗力を失った日本兵、軍属、50万人がシベリアに抑留され、極寒なか極めて劣悪な環境の元でろくな食事も与えられず死亡した人数は6万人以上と言われていたが、最近の研究によれば抑留者200万人、死者40万人にも及ぶと言われている。

では、中国はどうであろうか。

当時は国民党政府である。

国民党軍が、戦後、台湾に侵攻してなにをやったのか。

それまで台湾に住んでいた内省人を弾圧し1万8千から2万8千人におよぶ人たちが虐殺された。これを2.28事件という。

一方、国民党を台湾に追い出した中国共産党の指導者、毛沢東は大躍進政策の失政により3千万人以上の餓死者を出した。このとき、人肉嗜食が横行した。

その後の文化大革命のときにも3千万から8千万の人民が殺害され、このときも多くの人肉が食われたという記録がある。

中国人民軍は、チベットに侵攻して占領し、およそ300万人を殺害した。

また、東トルキスタンをも侵略して新疆ウイグル自治区となし、ロブノールで45回にも及ぶ核実験を行った。
この核実験により、19万人のウイグル人が死亡し、129万人の人が放射能の被害を受けている。

これは、中国国民党及び共産党の国家犯罪であるが、問題なのは、国民である。

彼らの残虐性は他にその類を見ないほどで、それは今でも我が国内での中国人の犯罪のひどさでもお判り頂けると思う。

中国人の残虐さを余すところなく表したのは、戦前の通州事件であろう。

数千人の中国保安隊が140名の日本軍守備隊と、260名の一般市民を襲い、考えられる限りのあらゆる残虐な方法で虐殺を行ったのである。

この事件はその後、駆け付けた日本軍により詳細な記録が残っている。

救援に赴いた日本兵の目に写った光景は、まさに地獄絵図であり、とても正視できるものではなかったという。

また、戦後起きた通化事件では、共産軍である八路軍により無辜の住民が2千人近くも惨殺された。

一方、朝鮮半島では、朝鮮人による、邦人に対する略奪、暴行、強姦、殺人は日常茶飯事であり、和夫一家惨殺事件に見られるような凄惨な事件は別に珍しくもなんともなかったという。

北朝鮮の悪行の数々は今更ここに挙げるまでもなく周知の事実であるし、韓国も、初代大統領の李承晩は、竹島を占領し、李承晩ラインを勝手に引いて多くの漁船を拿捕し船員を逮捕監禁した。

この拿捕の際、殺された漁船員は8人。韓国艦艇に衝突されて沈没した第六あけぼの丸の死者は21人である。

どうであろう。

日本国憲法が成立した当時、憲法に謳われている「信頼すべき公正と信義をもつ平和を愛する諸国民」はどこに居るというのか。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」などどこに存在するのか。

当時の周辺諸国を見渡してみよ。

そんな立派な国際社会や国民などどこにも存在しない。

ありもしない絵空事、夢想の産物を前提にした平和憲法。

これほど我が国民を愚弄し、欺瞞に満ちた憲法があろうか。

しかしながら、そうは言っても敗戦国である我が国は占領国たる米国に従わねばならなかった。

それは、仕方のないことであったと思う。

しかし、占領軍が去り、独立を果たしたのちまでこの大いなる欺瞞である憲法を70年も大切に保持していたということは、まさに不可解千番であると言わねばならない。

この憲法をいまだに平和のバイブルの如く崇め奉っている連中は、よほど頭がおめでたいか、日本の再軍備を嫌う、中、韓、朝鮮の手先ではなかろうか。

いつまでもありもしない空想の平和など夢見ていれば、それこそ豺狼が如き近隣諸国の餌食になるだけである。

ラベル:日本国憲法 国民
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2017年07月08日

我々の父祖の復権を


戦前の我が父祖は極めて高い精神性を備えていた。

だからこそあの大戦では、アメリカの圧倒的な物量の前にひるむことなく我が命を投げ出したのだ。

その好例が特攻隊である。

戦後、我々は、彼ら特攻隊員は当時の軍国主義のもとで志願せざるを得ない状況に追い込まれて出撃した戦争の悲劇の犠牲者であるかのように信じ込まされてきた。

しかし、実はそうではない。

当時の記録を見たり生存者の話を聞くと、彼らは国のため、我が国民のために喜んでその身を捧げたことがわかる。

特に、国内がアメリカの爆撃に晒され、多くの無辜の国民がむごたらしく殺されていくのを見て、それを少しでも防ぐために命を捧げたのである。

また、大東亜共栄圏にしても、戦後、言われてきたことは、この言葉は単なる侵略戦争のための口実であるということであった。

しかし、当時のアジアは、欧米列強の植民地ばかりであり、その住民は過酷な植民地支配を受けていた。
その惨状を見て、これを開放しなければならないと当時の多くの日本人は考えていた。
つまり、南方への我が国の軍事進攻は、物資の確保という意味もあったが、その目的はアジアの解放と大東亜共栄圏の確立にあった。

これは、戦後多くのアジア諸国が独立を果たし、その原動力となったのが、終戦後もその国に残って独立戦争を戦った多くの日本兵たちであったことを見てもわかることである。

こう見てゆくと、我々の父や祖父が現在言われているような、領土的野心に駆られていたわけでも、占領地域で暴虐の限りを尽くしたわけではないことがわかる筈だ。

近所のおじさんが言っていたように、日本軍の軍記は実に厳しいものだった。

むしろ、中国大陸では、共匪や国民党軍に略奪され、暴行を受けていた中国の民衆は、日本軍が彼らを駆逐すると大喜びで日の丸を振って出迎えたという。

中国大陸で虐殺や暴行などの残虐行為を行っていたのは、むしろ、人民を守る筈の国民党や軍閥、共産党の軍であった。
彼らがやった悪事の数々を、日本が戦争に負けた為に全ておっかぶせられ、日本軍のせいにされてしまったのである。

そして、その反対に我々の父母、祖父母の被った悲惨な被害はどの国の国民よりひどいものではなかったか。

米軍の空襲や沖縄戦でおよそ50万人にも及ぶ女子供老人などの無辜の国民が殺された。

軍の戦病死者は230万。

我々はこれだけの膨大な数の父母、祖父母、兄弟姉妹を殺されているのだ。

戦後、我々が教えられたこと。それは、我が国が中国を侵略し、アメリカをはじめとするイギリス、オーストラリア、オランダなどを相手に戦争を始めたから当然のことだと。悪かったのは敵である連合国ではなく、日本側であると教えられてきた。

それはそうであろう。
彼ら連合国は敵だったのだから。
我々愚かな日本人は、戦後、あれだけ多くの無辜の同胞を殺害されたというのに、殺戮者であるアメリカの主張を信じ、あの平和憲法なる大いなる欺瞞そのものの日本国憲法を、一言一句変えることなく大切に保持してきた。

これでは、大東亜戦争で戦没しあるいは犠牲になった我が祖父母、父母や兄弟達に顔向けができるのか。

殺人者のいうことを鵜のみにして、我が先祖を貶めているのである。

もはや、戦後70年経った。

米ソ中韓のプロパガンダに踊らされ、引きずり回されてきた戦後の昭和、平成を見直し、我ら孫子の為に命を捧げた御先祖様達の復権をいまこそ行うべきである。



ラベル:先祖 祖父母 国民
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2017年06月24日

平和呆けのその先は?


我が国は平和憲法を持つ世界唯一の平和国家である。

自衛隊はあるが、これは建前上は軍隊とはいわない。

軍隊はないのだから当然徴兵制度など将来も作ることは無理であろう。

つまり、我が国民は未来永劫徴兵される心配はない。

確かに、軍隊に徴兵されて戦場に行かなくて済むことは有り難いことではある。

しかし、これは、わが国の周辺諸国が、平和憲法の前文に謳われてるがごとき「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・・・」「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において・・・・・・」というような善良で平和を尊重する国家である場合に限るのである。

では、周辺の中国や韓国、北朝鮮、ロシアは、果たして上記日本国憲法の前文に挙げられたような善良で公正な平和国家であろうか。

とんでもない。我が日本は、世界で最もたちの悪い国々に囲まれているのだ。

北朝鮮は、核兵器と弾道ミサイルの実験を繰り返して、気に食わないことをすればミサイルを撃ち込むぞと我が国を恐喝しているし、価値観を共有するはずの韓国でさえ、幼少時から間違った歴史を教えられて骨の髄まで日本を憎んでいる。
あれほど徹底的に日本に対する憎悪を教え込まれれば、当然の帰結として国民全体が反日一色に染め上げられても仕方がなかろう。

また、中国は、尖閣を、あわよくば沖縄までを取ろうと虎視眈々と狙っているではないか。

ロシアに至っては何を考えているかわからず、全く信用はできない。
おそらく北方領土を返す気など毛頭ないのだろう。
ただ、これらの島を餌にして、我が政府を釣っているに過ぎないのだから。

それなのに、これらの外国の脅威に対して、我が国民は平和ボケした頭で考える。

「北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込むなどするはずがない」

「あの偉大な国中国が尖閣や沖縄が我が領土だといっているのならそうに違いない。返してやればいいではないか。そうすれば沖縄から米軍基地がなくなる。そのほうがかえって好都合」

「日本は戦前、朝鮮半島を植民地として韓国や北朝鮮の人民に迷惑をかけたのだから、嫌われて当たり前だ。どれほど謝罪してもし過ぎることはない」

そして、彼らは異口同音にいう。

「万が一戦争になれば、戦わず降伏すればよい。我々は全財産を持って外国に逃げるだけだ」

しかし、本当に戦争になれば一瞬で終わるのである。

日本の全都市は火炎地獄と化し、各地で侵攻してきた敵兵に蹂躙され、虐殺や暴行、強姦が横行し、日本人はこの世界から姿を消す。
そして、チベットやウイグルの悲劇がこの日本でも繰り返されるのである。

ひとたび国政のかじ取りを誤れば、日本は亡国の縁に立たされることになる。

いまやまさに戦後かってない危機がせまっていることを自覚しなければならない。

呆けている場合ではない。

ラベル:平和 我が国民
posted by HOK大臣 at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

マスコミ報道は疑ってかからなければならない。


1991年12月にソ連が崩壊した。

それまで全世界を覆っていたコミンテルンの圧力は消散した。

当然、我が国においても社会主義思想は我が国民から見放され、力を失った。

しかし、三つ子の魂百までと言うように、この時代に洗脳され、叩き込まれた思想というものは一生、人の思考を左右する。
共産主義の総本山であるソ連が崩壊したにも拘わらず、依然として我が国のマスコミが、左に偏向し、自分の国を貶める報道ばかりしているのは、彼らが生きてきた昭和という時代のせいなのである。

特に今、重鎮と言われているようなベテランのテレビのキャスターやコメンテーターのほとんどが大なり小なり左翼思想に染まっている。

彼らがテレビのワイドショーで主張する言葉は、一見国民大衆に寄り添うがごとく耳に優しい。

最近のワイドショーは、お笑い芸人や芸能人をひな壇に並べ、それに教えるようにコメンテーターが数人。そしてこの番組を仕切るメインキャスターと女性キャスターで構成される。
あるいは、ひな壇なしで、コメンテーターの中に愚かなお笑い芸人やほとんど何の知識もない歌手や役者崩れを入れている場合もある。

そして、その番組は、一方的に現政府や内閣を攻撃する場合が多い。

解説するコメンテーターはほとんど過去、昭和の左翼教育を受け、反日マスコミのなかで育った連中である。

彼らが激しく現政権を批判し、攻撃したあと、何も知らない芸人や歌手、女優に意見を求める。

そもそも、芸能人は、マスコミの永年の操作により一般大衆にもっとも親しみやすく身近な存在になっている。

従って、彼らの言う一言一句は視聴者に何の抵抗もなく受け入れられよう。

芸能人達が、何の確たる知識のないままにコメンテーターのいう言葉をなぞって言えば、それを見ている視聴者はわけなくその言葉を信じ込むのである。

昨今の籠池騒動や加計学園問題のマスコミによる連日の安倍政権攻撃は安倍政権の支持率を10パーセントも下げた。

如何にマスコミの影響が大きいかということである。

ましてや、我々国民は戦後70年にわたってマスコミに洗脳され、操られてきた。

彼らは我々に重要なことは何一つ真実を伝えず、質の悪いな娯楽や捏造され操作された報道により、我が国民を思うがままに操ってきたのである。

この操作は、敗戦以来、一貫して行われ、また、あらゆるマスコミが同じことを主張していた為、だれもそれに気づくことなく現在に至っている。

我々は、まず、そのことに気付き、過去、マスコミが如何に嘘や捏造で我々を騙してきたかを認識しなければならない。

そして、これからは、決してマスコミ報道を頭から鵜のみにしてかかるのではなく、まず、疑うことからはじめるべきである。

マスコミ、特にテレビで報道されることを考えもなくそのまま信じて行動すると、とんでもない結果を引き起こすことにもなりかねないのである。

安倍政権の支持率が一割も低下したのは、如何に盲目的にマスコミに乗せられて行動する人間が多いかという何よりの証拠であろう。


posted by HOK大臣 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | マスコミ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

何故、日本国民は愛国心や伝統的価値観を失ってしまったのか。


戦後の日本人の大きな変化。これは堕落と言ってもよいがこの大きな部分は価値観の変化にある。

戦前の日本人は精神的にも物質的にも崇高な民族であった。

繊細な美的感覚は他に類を見ず、精神的な気高さは多くの欧米知識人の賞賛するところであった。

しかし、終戦後、GHQの占領政策により戦前の社会機構は代えられ、民主化と称して、戦前の物や文化は全て否定された。
そして、占領軍が去った後、引き続き我が国の伝統的な文化や価値観は、失われたままだった。

そのわけは、戦時中、留置場に入っていた反日思想犯は釈放され、中国に逃れていた野坂参三などの共産党員、そして、中国やソ連に捕虜になり洗脳された元兵士たちが大挙して帰国してマスコミやあらゆる業界に入り込んだことが原因である。

これは、彼らが戦後の我が国民の厭戦感を巧みに利用し、あれだけ甚大な戦禍を受けたのは全て戦前の教育や社会制度が悪かったせいだと信じ込ませた。

この洗脳の道具としては、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの書籍、その他のマスメディア、そして日教組による学校教育である。

では、何故当時の国民はGHQの日本人愚民化政策や中ソの日本共産化のプロパガンダにかくもやすやすと乗ってしまったのか。

それは、第一にこの大戦で230万人もの戦病死者を出したこと。第二に沖縄や国内でも戦闘に巻き込まれ、或は空襲で無辜の国民31万人が犠牲になったことがあげられよう。

この230万人に及ぶ膨大な人的損失は、戦後の復興に極めて大きな影響を与えずにはおかなかった。
焦土になった国土に残されたのは、家族を失い途方に暮れる女子供や病人であり、頼りの成年男子の多くは戦地で命を落としていた。

つまり、人材が枯渇していた。

そして、あの地獄のような空襲の惨禍を体験した人々の厭戦気分に乗じて、所謂「平和憲法」が制定され、その後の日本人の思考を決定したのである。

戦前までの半生すべてを否定された日本国民は、それまでの永い歴史や伝統、価値観や高い精神性を捨て去り、代わりに目の前に置かれた絢爛豪華なアメリカ文化に飛びついた。

その戦前までの価値観や民族の誇りを失い、自信を喪失した我が国民をGHQが去った後、次に国民の心を支配し、洗脳したのは戦前は中国やソ連に逃げていたり、国内に潜伏、或は刑務所に入っていた共産党員達である。

それに加え、ソ連に抑留され、あるいは中国に亡命していた野坂参三などに洗脳された捕虜などが復員してきてあらゆる場所に入り込み、日本国民の思考を支配していった。

では、その後、最も彼らの影響を強く受けたのはどの世代だったのか。

それは、戦時中に学童疎開し、兄や父を戦争で失った世代、或はその後のベビーブームにより団塊の世代と呼ばれた戦争を知らない戦後世代であろう。

昭和40年代、猖獗を極めた学園紛争の中でから生まれた赤軍派などの過激派がその代表といえる。

彼らがそこまで極端なテロ行為に走ったのは、当時日本全体を覆っていた左翼化の波に乗ったからに他ならず、いわば大半の国民の支持を受けての行動であった。

この頃の日本国民、特に戦後教育を受けた若い人達の心には、もはや、祖国に対する誇りも愛国心もなく、ただ、共産党や社会党のプロパガンダに乗せられて戦前の日本を憎み、恥じ、マスコミのいう自虐史観の虜になっていた。

このような社会風潮のなかでは戦前の我々の父や祖父の時代を正しく評価することなど到底無理な話である。

こうして、戦前のわれわれの御先祖様の培ってきた精神性や道徳観、そして高くも豊かな本物の日本伝統文化などは、それを担ってきた年代の人たちが世代交代していなくなるに従い次第に忘れられていったのである。
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2017年06月08日

特高警察と共産党

私達の父や祖父はそんなに悪人であったのだろうか。

しかし、実際にはそうではなかったのではないか。

何故なら、私の子供の頃、復員してきた近所のおじさんたちの話を聞くととてもそのようには思えなかったのである。

「日本軍の軍記は世界一厳しかったんじゃけえのう。そげえな悪りいことをするわけはなかろうが」そのおじさんに聞くと決まってそう言っていた。

また、戦争中の憲兵や特高警察は、言論を弾圧し、拷問や残虐な責めで自白を強要し、果ては容疑者を死に至らしめたなど、悪の権化のように言われている。

本当にそうだったのか。

私達の今の見方は、マスコミや戦後の思想、言論界を支配した左翼の言い分である。

物事は見方を変えれば、その評価は180度変わるものだ。

戦後、今まで私たちが教え込まれてきたことは、本当に正しかったのか。

もし、これが反対に、当時の左翼が極悪無道な連中であったとしたら。

そした、特高警察や憲兵などの官憲が、彼らの破壊活動を懸命に防ごうとしていたのならどうであろうか。

共産党員や左翼、彼らが後世の連合赤軍やオウムのような存在であったなら見方は180度変わってこよう。

現在の感覚でいえば拷問や虐待は決してやってはいけないことである。

しかし、時代は戦争中である。

多くの若者たちが戦場で血みどろの戦いを繰り広げ、夥しい戦死者を出しているときに、国内で反日活動をしたり、或は犯罪や明らかに反政府活動をやっている。

当然取り調べは厳しくなり、時には拷問まがいのこともあったかもしれない。

当時は今のような科学捜査は存在しない。そして、そのころの犯罪捜査は今以上に自白が重要視されていた。

当然、自白を得るためには、取り調べは厳しくなる。

ましてや相手は敵国のスパイかも知れず、コミンテルンの手先の共産主義者でもある。

ここで断っておくが、当時の共産党員は、今の共産党のように口先で聞こえのいいことばかり言っているようなやわな存在ではなかった。

いわば戦後の連合赤軍やオウム真理教のような犯罪者集団であり、本気で共産革命を起こそうとしていた連中である。

彼らは明らかにソ連コミンテルンの日本の支部であり、その目的は共産革命により日本の天皇陛下をロシア帝国のニコライ二世のように抹殺し、日本国体の乗っ取りをたくらんでいた。

例えば戦後も長い間参議院議員として国民の血税を吸い続けた宮本顕治は、昭和8年に共産党仲間の小畑達夫を目も当てられないほどの残虐なやり方で虐殺し、無期懲役を受けた。
このように日本共産党は仲間同士の密告、殺害を繰り返し、銀行強盗や警官殺しまでやっていたのである。

また共産党の親玉の野坂参三は、戦時中には中国の延安にいたが、そこで日本人捕虜に洗脳工作を行い、昭和19年にアメリカが視察団を延安に送った折、当時国内に潜伏していた2000ほどの共産主義者をアメリカの対日戦戦争に協力させると約束している。

この野坂が洗脳して手先に使った洗脳された日本兵捕虜の中には、戦後、731部隊や南京虐殺などを偽証してまわった連中もいたのである。

また、今現在、日韓の間で最大の問題となっている従軍慰安婦の問題も、その原因は吉田清治の大ウソが原因である。
この吉田清治はなぜこのような嘘をついたのか。
それは彼が共産党員であったからにほかならない。

如何であろう。

これで共産党が如何に悪辣無道な連中であるかお判り頂けたのではなかろうか。

彼らが戦後、口を拭って戦前戦中に自分たちが行った犯罪を秘匿するために、調査取り締まりに当たった特高警察や憲兵が如何に残虐な仕打ちを行ったかをマスコミを利用して広めたのである。

「我々は何一つ悪いことをしていない。官憲の残虐な取り調べに耐えきれずにやってもいないことを自白したのだ」ということにすれば自分たちの犯罪は追及されなくて済む。
そう考えたのだろう。

このように見方を変えれば、特高警察や憲兵は共産党や左翼過激派の犯罪を普通に取り締まっただけで特に残虐な拷問は全くなかったとは言わないが、そうそう日常茶飯事には行われなかったことがわかる。

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2017年05月31日

戦前の日本は本当に悪かったのか?

戦後、日本人は本当の民主主義を手に入れ、一時は世界第二の経済大国となり、豊かになった。

一方、先の戦争で日本の軍人兵士、軍属は230万人の人達が亡くなり、女性や子供、老人を含めた一般の無辜の国民は80万人が命を落とした。

彼らは一体何の為にその尊い命を犠牲にしたのだろうか。

私達は戦後の教育で、あれは全て軍国主義体制のもと、中国を侵略し、米国に戦争を仕掛けた軍部や当時の内閣が悪いと教え込まれてきた。
全ては日本が悪い。そして戦前の物は全て悪、或は評価に足らぬものとして国民の目から覆い隠されてきた。
ついには広島長崎への原爆投下さえ当時の日本政府のせいとされてしまった。

広島の原爆慰霊碑にはこう書いてある。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

これはどう説明しようとも、主語は原爆投下の張本人のアメリカではなく、被害者である我々であるとしか読めない。

これなど我が国の現代史上最大の欺瞞ではないのか。

この意味するもの。それは戦後、日本国中を覆った自虐史観の断片である。

そして、これを進めてきたのは、最初はGHQであるが、その後は、教育界や学会、マスコミを支配していた旧ソ連のコミンテルンによるプロパガンダであり、ソ連崩壊後もなお続いて現在に至る。

自虐史観。このせいで、現在に至るまで我々の御先祖様の戦前の事績は正当に評価されることはなかった。

本当に戦前は軍国主義の暗雲のたちこめた灰色の世界であったのか。

本当に戦前の日本は朝鮮半島を支配し、中国を侵略した後、米国に戦いを挑んだ愚かで野蛮な国民だったのだろうか。

中国や韓国がいう南京大虐殺や所謂従軍慰安婦の強制連行や虐待はあったのか。

そんな筈はない。

従軍慰安婦問題の根っこは、吉田清治という共産党員がでっち上げ、朝日新聞が尾ひれを付けて拡散した絵空事であったからだ。

また、南京大虐殺は、敵であった中国国民党のプロパガンダであったものを、今の中国共産党が政治的カードとして振りかざしているのだ。

戦後の昭和は、このように言論は左翼に牛耳られ、マスコミの論調は全て、近隣諸国は正しく、我が国は全て悪という自虐的なものであった。

ただ、平成に入り、インターネットの普及によって、それまでマスコミが独占してきた情報が、全て意識的にゆがめられ捏造された大嘘であったということが次第に明るみにでてきたのである。

しかし、戦後の昭和に教育を受け、マスコミに洗脳された世代はいまだに自虐史観の頸木につながれている。

そこで、考えてみよう。

彼らが信じて疑わぬように、本当に我々の父や祖父は外国に行って悪逆の限りを尽くしてきたのだろうか。

戦前の日本は、軍国主義一点張りの文化衰亡の時代であったのだろうか。

次にこの問題を考えてみよう。

ラベル:自虐史観
posted by HOK大臣 at 15:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

御先祖様は偉大であった。


戦後、我々は所謂平和憲法により、建前上は軍隊を持たない地球上まれに見る平和な国家となった。

そして、以後70年にわたり平和を謳歌し、物質的繁栄を享受してきた。

おそらく、世界中で最も幸福な国民であることに間違いはあるまい。

しかし、現在のこの豊かな生活は一体誰のお蔭であろう。

それは私達が一生懸命に働いたからだと多くの人達が考えている。

しかし、廃墟の中から立ち上がり、この日本を復興した基礎を築いたのは一体誰なのか。

それは私達の世代ではない。

私達の親や祖父母の世代が苦難の中から国土を再建し、我々戦後世代はそれに乗っかって滑っただけにすぎない。

この我々の父母や祖父母は、まさにあの大東亜戦争を戦い、戦死者230万人、空襲や戦闘に巻き込まれて犠牲になった一般人の犠牲者80万人を出した世代なのである。

つまり、今、平和と繁栄を享受している今の我々の現在の幸福は、全て、あの苦難の時代を生きた御先祖様のお蔭だということを忘れてはならない。

そして、その私たちの御先祖様は、実に素晴らしい人達であった。

私達の御先祖様たちは、GHQから戦後の教育やマスコミによって異常に貶められ無視されてきた。

そのせいで私達は戦前の父母、祖父母以前の先祖について驚くほど知らない。

これほどの恩恵を受けながら、最も愛すべき身近な肉親いついてこれほど無知であるということは、実に御先祖様に対して申し訳ないことである。

戦前の日本人が如何に優れた人達であったかということを知ることは、子孫である我々の義務ではなかろうか。(5月28日)

ラベル:我々 御先祖様
posted by HOK大臣 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする