2018年07月12日

暴力的な漫画やコミック、アニメは子供にとって有害である。


私の子供のころ、漫画は厳しく禁止されていた。

よく父が言っていたこと。

それは「漫画を読むと馬鹿になるぞ」ということだった。

父が言っていた真意はわからない。

当時の漫画は、今とは比べ物にならないほど素朴でやさしいものであった。

それでも父は漫画はいけないという。

おそらく、漫画ばかり読んでいると、ちゃんとした文章を読む気がなくなるからということであったのだろう。

しかし、あれから半世紀以上経つ。

当時に比べて漫画は劇画となり、その物語性、絵の質は格段に向上(?)した。

そして、今や、漫画、劇画は大の大人が読んでいる。

これは言い換えれば、漫画は子供の読み物ではなくなったということだろう。

そして、その内容たるは、およそ子供に読ませるにはあまりにも良くないものとなってしまった。

戦いやスポーツ、闘争を主題としたものばかりで、少数の子供向けの漫画を除いて、その殆どはやたらと子供の闘争心を煽り、子供の精神的発育を阻害するものばかりのように思われる。

最近の少年誌に載っている漫画は大人が夢中になるほどおもしろい。

自己が十分確立していない子供がこれを読めば忽ち魅了され夢中になる。

そして、この暴力を無批判に受け入れることとなろう。

これが如何に子供の正常な精神的発育を妨げることかということは言うまでもない。

前に言ったように、小児期にはその年齢にあった本を与えるべきで、これらの闘争や戦い、スポーツなどは避けなければならない。

この年齢はまだ基本的な情操や感情、性格などが十分確立しておらず、そこにこれらの荒々しいものを持ち込むのはまだ早い。

そして、出来れば、このようなものは、大きくなった後も避けたほうが良いと思う。

何故なら、漫画は本来子供の読むもので、大人の読むべきものではないからだ。

こう言うと、「おかしいではないか。漫画は子供に読ませるなと言ったと思えば今度は漫画は子供の読み物だという。矛盾しているだろう」そういう声も聞こえてきそうである。

本来、漫画とは子供の為のものであるがゆえに、幼い子供にとって夢と希望を与えるものでなければならない。

そこに、闘争や戦い、勝負などの過激なものを持ち込むべきではない。

つまり、「良書」でなければならないのである。

私が、ここで子供に読ませてはならないという漫画とは、現在の漫画、つまり暴力と争い、戦いに満ちた過激で醜悪なものを言っているのであって、絵が美しく、子供の心の成長を助けるような「良い漫画」を言っているのではない。

これらの良い漫画は、子供が字を覚え、本格的に自分で児童文学を読み始める前の準備期間や、その後も箸休めとして読むべきもので、決して読書のメインディッシュとすべきではないと思う。


posted by HOK大臣 at 10:42| Comment(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月09日

子供には本当に良い本、美しい本を与えなさい


子供の正常な発育にはお母さんの愛情は質量ともに大切である。

それとともに、子供には何を与えたらよいのか。

それは、本当に良いもの、美しいものであろう。

なぜならば、子供の頃、特に幼児期においてあらゆる感覚が発達する。

この時期に本物、良いもの、美しいものに触れさせればその子の感性は大きく花開く。

本当に美しいものを理解し、美味しいものがわかる。

それは成人した後にも大きくその人生を豊かなものにしてくれるだろう。

子供の時に培われた豊かな感性は、成人の後もその毎日を美しく彩り感動を与えてくれる。

どんな時もどこにいても、そこに美しさを見出し、感動する。

このことは過酷なストレス社会のどのような苦境にいても常にその心を癒し、慰めてくれるはずだ。

幼児期から成人するまでにこの感性が磨かれるのである。

では、具体的にはどうすべきなのか。

まず、子供は幼少期から外に連れ出し、自然や外の風景に触れさせる。

そうすれば、自然の美しさや、人の営みの作り出した風景に感動する感覚が養われる。

これは、貧富の別なくだれでも我が子にしてやれることなのだ。

また、夜、寝る前に本の読み聞かせも大切である。

これは極めて子供の情操形成に大きな意味を持つので面倒くさがらずに読んでやってほしい。

幼児の場合はこれは絵本が主となるが、この絵本の選び方も気を付けなければならない。

絵本は当然のことながら絵がその価値を決める。

この絵は、出来るだけ緻密に描かれた美しい絵でなければならない。

最近の子供向けの絵本、特に現代の日本の絵本はこの絵がいい加減なものが多いのでそのようなものはこの目的には向かない。

次に、少し大きくなり、自分で本が読めるようになれば、なおのことこの本の選定が大切である。

では何を選ぶか。

それは、過去の童話の名作が最も適している。

美しい挿絵がついていれば申し分ない。

グリム童話、アンデルセン童話。そしてイソップ寓話。世界の童話や日本の童話など。

これらは過去、数世紀にわたり、世界の子供たちが愛読し、心を育ててきたものだから間違いがない。

このような良い童話は、子供たちを夢の国に誘い、豊かな感性を育て、優しい温和な人柄を作るだろう。

反対に避けなければならないものは、グロテスクなものや醜いもの。戦いがテーマとなっているものなどである。

この戦いの範疇には、勧善懲悪の英雄譚や、最近の暴力的なコミック、漫画なども含まれる。

この幼児期にはこれらの荒々しいものは早すぎるし、成長の後も親が与えるべきではない。

このような荒々しい本は、子供たちが大きくなり、「つ」が取れたあと、つまり十歳過ぎてからの子供の自主判断にまかせるべきである。

posted by HOK大臣 at 19:15| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

子供に一番大切なものは母親との愛情豊かな時間である。


子供の正常な成長には何が最も大切なのか。

それは第一に親、特に母親の愛情であろう。

昔から言われていること。

それは姑がよく言っていた。

「つがつくまでは親が十分に愛情を注ぎ、手をかけて育てなければならない」。

「つ」がつく年とは、すなわち「ここのつ」、つまり9歳までは母親の豊かな愛情が必要であるということである。

もちろん、それ以降も親の愛が必要であることは言うまでもないが、とくにこの大きく成長する時期、幼児期から小学校低学年までの期間がもっともの人格形成期において重要であるということであろう。

この時期に母親が十分に愛情を注いでやれなかった場合、それ以降、成長の過程で健全な心の発育が阻害されるのではなかろうか。

もちろん、このことは、何も、この子たちが将来、犯罪者になるとか人格に問題がある人間になるといっているわけではない。

しかし、十分に親の愛情いっぱいを受けて育った子供に比べて不利となる可能性がある。

つまり、同じような環境に生まれても、先々、親の愛情のかけ方により成長の過程で大きく差が出ることになるかもしれないといっているのである。

例えば、幼稚園に通った子供と保育所に預けられた子では、その精神的安定度に差が出てくる傾向は否定できない。

もちろん、この二つのグループは、親の経済力に差がある。

保育所に預けられてる子供は母親が仕事をもっていること多く、子供の面倒を十分に見てやる余裕がない。

経済的に苦しく、夫の給料だけでは生活できないため、妻が働きに出なければならないのである。

この場合、子供がまだ乳飲み子の時から保育所に預ける親が多く、保育期間が長期にわたる。

一方、幼稚園に子どもを通わせる場合は乳幼児を入れることはない。

通常、幼稚園は二歳児を入れることはない。三年保育の場合でも三歳以上である。

ということは、三年保育の場合は三歳まで、二年保育の場合は四歳まで十分母親の愛情に包まれて育ち、そろそろ社会性が芽生える頃に幼稚園に通うことになる。

また、幼稚園は子供の帰宅時間が早く、それ以降は母親との時間である。

こうして見てくると、保育所に入れるのと幼稚園に通わせるのとでは母親と接する時間が大きく違う。

このことが子供の心の成長に大きく影響せぬはずがない。

私の子供が小学生のころ、学級崩壊が多発していた。

うちの子のクラスも例に漏れず、実に惨憺たる有様であった。

授業中の私語、放歌、立ち歩き、だれも教師の授業など聞いている者もいない。

まったく、勉強にも何にもならない有様であった。

この授業妨害する子供たちは概ね保育所育ちが中心を占め、おとなしく授業を受けていた子供はほとんどが幼稚園組であったという。

暴れていた子供のほとんどはじっと座って先生の話を聞くことができず、落ち着きがなく立ち歩いて授業なぞまともに聞こうともしない。

授業が始まっても長くはもたない。

まもなく私語がはじまり、てんでに自分勝手なことを始め、しまいには喧嘩を始める者もいた。

気の弱い若い女性教師などには全く手も足もでない有様であった。

そして、ついに全く授業ができなくなってしまったのである。

この暴れる子供たちはいわゆる餓鬼大将ではない。

心に何か欠陥があり、我慢することや他人との協調、人の話を聞き、理解することが不得手のように見受けられた。

これは社会生活を営む上で非常なハンデとなる。

乳児期から保育所に長期にわたって預けられた子供たちすべてがこうとは言わないまでもその傾向は多分にあるのではなかろうか。

ひとつの例を挙げてみよう。

ある兄弟の場合である。

彼らの家庭は決して貧しくはない。

いや、むしろ裕福であった。

彼らの祖父は果物の仲卸の會社を経営していたし、その父親もその会社で働いていた。

故に生活はかなり裕福であったのである。

当然、彼らの母親は働く必要が無く、子供たちを自分の手で手塩にかけて育てる環境は整っていたはずだ。

しかし、彼女は社長の娘だった関係で第一子出産の後、自分の父の会社で働き始めた。

市場の仲卸の仕事は朝が早い。

この母親は、この兄弟を乳飲み子の時から保育所に預け、忙しく働いた。

本来なら、彼女は働く必然性はなかったはずである。

彼女の亭主である兄弟の父親に十分な給金を与えてやればすむ。

しかし、この兄弟の祖父であるこの会社の社長は娘婿を信用せず、彼に重要な役職も与えず、安い給料で使いまわした。

その代り、我が娘に経理などの重要な役職をまかせ働かせたため、子供たちは乳幼児の時期から長時間母の愛情に飢えたまま保育所で過ごしていたのである。

本来、この子たちは頭の良い素直な子供たちであった。

弟の方など、極めて頭がよい。

ちゃんと教育の機会を与えてやれば将来、そうとうレベルの高い大学にも進学できたはずだ。そう私は期待していた。

しかし、結果はそうはならなかったのである。

一方、兄は気の優しい良い子であった。

しかし、情緒不安定で落ち着かず、勉強には全くついてゆけない。集中して人の話が聞けず、すぐに飽きて自分勝手なことをやり始め、私語や授業妨害をはじめる。

結果はどうであろう。

この兄弟はせっかく持って生まれた知能や才能を生かすことなく萎ませてしまったのである。

兄の方は、高校を中退し、結婚して一児をもうけたが離婚して母子とは別居して実家で暮らしている。

将来を期待していた弟も兄と似たような経過をたどり、これも離婚して親許で暮らしている。
二人とも真面目に働いているので問題はないように思われるが、私はこの兄弟の才能が惜しまれてならないのである。

では、なぜ、彼らの折角の才能を打ち枯らしてしまったのか。

それは、ひとえに幼児期の母親の愛情をかける時間が欠乏していたということではなかろうか。

彼らの祖父が、せめて兄弟が4歳になるまで母親を彼らのもとに置いてやっていれば、もう少し違った結果となっていたのではなかろうか。

ここで誤解無きように言っておくが、私は幼稚園がよくて保育所がよくないというつもりはさらさらない。

問題は、子供が小さいうちは母親と過ごす時間が大切であると言いたいだけなのである。

確かに、待機児童を無くすために保育所の数を増やし、保育士の待遇を改善するのもよい。

しかし、母親たちがせめて子供たちが4歳になるまで手元に置いて愛情いっぱい育てることができるよう、社会インフラを整え、社会制度を整備して欲しい。

乳飲み子を母親の胸から引き離すようなことはしてはならない。お母さんを子供たちのもとに帰してやりたい。

それだけである。


posted by HOK大臣 at 11:52| Comment(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

終身雇用制度、年功序列制度をもう一度見直そう


最近のブラック企業の急増について思うことがある。

最大の原因は経営者の人間としての質の甚だしい低下である。

それと企業体質が変わってしまったこと。

バブル経済崩壊までは従業員は大切にされていた。

それは、景気が良かったことと、人手が不足していたこともあるが、最大の要因は当時の企業経営者は今より格段に従業員に対する思いやりがあり、徳があったのではなかろうか。

当時の会社は、社員寮や社宅を持ち、社員旅行や社内での様々な社員を喜ばすイベントもあった。

これは、今でも、会社によっては行われているところもあるが、ずいぶんと減ったように思う。

昔の企業が社員を大切にしたことの何よりの好例は、社員を育てたことであろう。

学校を出たばかりの新入社員を時間をかけて教育し、一人前の優秀な社員に育てあげた。

大きな会社では、社内に学校さえ持っていた。

こうして、彼らは、在職年数が永くなればなるほど経験を積み、優秀な社員となった。

つまり、年功を積めば積むほどその技能や能力は向上しているので、勤続年数により給与や報酬が決められたのである。

つまり、年功による昇給、昇格の制度は大いに合理的であったのである。

年功序列の良いことは、在職年数が長くなればなるほど報酬が上がり、地位も向上する。

独身者は、将来の生活が保障されているので安心して結婚できるし子供も多く産める。

従業員にとって退職までの生活が保障され、永く勤務すればするほど、子供たちの成長とともに増大する諸経費や教育費なども賄うことができた。

これは、会社に対する忠誠心を醸成することとなり、また、永年の経験を積んだ社員は、会社にとっても無くてはならない存在となる。

こうして労使の雇用関係は安定し、これが日本が世界第二の経済大国となった原動力となったのである。

考えてみれば、この一昔前の雇用形態は、江戸時代の諸藩の藩主と藩士の関係そのものではなかろうか。

諸藩の武士は何代にもわたり藩に忠誠を尽くし、身を粉にして働く。藩は藩士の生活を末代まで保証し、面倒を見る。

この制度は江戸以来、日本人の雇用体系として定着し、日本を動かしてきた。

こうした終身雇用制度、年功序列制度が我が国を世界に類を見ない安定した国家となしてきたのである。

ところが今はどうか。

形は昔とあまり変わらないが、経営者の意識が変わってしまった。

社員を育てることはぜず、気に入らなければすぐに解雇し、他所からすぐに使える人間を連れてくる。

これでは、社員は何時首になるかもしれないので将来の展望は持てない。

若い人は将来の生活の不安から結婚もできず、子供もつくることができない。

多くの人たちは、ろくな専門教育や職業経験も積めず、ただ、働く機械として安月給で単純労働で酷使される。

子供が少なくなったから将来の日本が不安だというが、このようなブラック企業ばかりでは、安心して結婚もできず、子供も産めないのはあたりまえである。

このようなろくでもない、企業の社会的責任もわきまえない不良企業ばかり増えた原因は一体何だろう。

それは、企業経営者の人間性の劣化、仁徳の欠如であろう。

彼らは、自分たちの企業の社会的責任も考えず、ただ、儲けの為だけ、金銭欲の為だけに企業を経営する。

そこには、従業員に対する愛情や心配りなど微塵も感じられない。

こんな連中が増えた原因は、主に、国策の誤りであろう。

年功序列の終身雇用制度は非効率である。欧米の能力主義を取り入れるべきだ。そういう掛け声のもとにやった小泉竹中の様々な改革が貧富の格差を生み、人心を荒廃させた。

その罪は極めて大きい。

今一度、我々の父祖が属してきた終身雇用制度、年功序列制度の意味を見直すべきである。

posted by HOK大臣 at 16:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

ブラック企業


A君の話を聞いてからというもの、周りを見渡すとこのようなブラック企業の事例は余りあるほど存在することがわかった。

特に地方の中小企業においてこの傾向が甚だしいように思われる。

その共通するところは何かというと、極めて安い給料で過酷な長時間労働を強いられることであろう。

では、誰がそれをやるのか。

言わずと知れた企業経営者や管理職、そして、人を使う立場の人間全部である。

つまり、その原因は全て、人を使う人間次第ということだ。

では、ブラック企業の経営者の共通項は何か。

それは、従業員を人間としてではなく単なる労働力としか見ていないことであろう。

一種の働く機械としかみていないのだ。

従業員一人一人には親もいるし妻子もいる、そして、彼の給料で家族は生活しているのである。

従業員を一人雇うということは、その家族にも責任をもつということに他ならない。

もし、その従業員の給与が極端に安い場合は、その家族をも経済的に苦しめることになる。

過重な労働の挙句、病気にでもなれば、たちまちその家族が困窮することになる。

これが、独身なら結婚もできない。

ブラック企業の雇用者はそのことについて全く考えようとしない。ただ、従業員を安い賃金でこき使うことしか頭にないのである。

そもそも、人は平等である筈だ。

雇用者と従業員の関係は対等であり、単に雇用契約で結ばれているに過ぎない。

それを何を勘違いしたものか、雇用者は自分は雇ってやるのだから従業員にはどのような悪条件で働かせても当然と考えている。

仕事だから従業員は文句をいうな。俺が食わしてやっている。そう考える人間がほとんどであろう。

このては地方の中小企業の経営者に多い。

特に、戦後の高度成長の波にうまく乗って企業を拡大したような会社の経営者にその傾向が強い。

単に運が良く、うまく時流に乗っかっただけなのに自分は偉いと思いこむ。

しかし、その企業の創業者はそのことはある程度自覚していよう。

問題はその次の世代である。

先代の創業者は、苦楽を共にした従業員をある程度大切にしたが、その次の世代は違う。

親の苦労も、創業当時の古参の従業員の功績も知らない。

そして、自分が一人で社長になったような気になっている。

もはや彼の頭の中は、従業員に対する思いやりなどかけらもない。

従業員など単なる労働力にすぎず、働く機械のように考えている。

そして、利益を上げるには馬鹿でも考え付く単純な理屈、つまり従業員を安い賃金で長時間働かせるという方法しか考え及ばない。

企業経営者はその経営能力により会社を運営している。
ところが上記のような人を安くこき使うことしか能のない愚か者は、それができない。

自分の経営能力がない為に業績が悪くなれば、真っ先に何の罪もない従業員を解雇して人件費を浮かせようとする。

こんな馬鹿な企業経営者や社長がほとんどではなかろうか。

これが多少大きな会社の場合はなお複雑になる。

その企業の経営陣などではなく、単なる一般の社員が管理職などの人を使う立場になった場合、必要以上に部下に過酷な仕事をさせる場合が多い。

自分の与えられた権力を誇示し、得意になる。

しかし、これは彼らが偉いわけでも優秀なわけでもない。

たまたま何かの理由でその職席に着いているだけなのにそのことに考え至ることがない。

もちろん、その人物が優秀であったり、その職務に適していると上司が考えた場合もあろう。

しかし、ほとんどが、そうではない。

親会社での権力闘争に負けてはじき出されたか、問題を起こしたか、本社では使い物にならない連中が子会社に左遷される。

つまり、どうにもならない屑がおおい。

そういう連中に限って虚栄心が強く、自分を大きく見せたがるものだ。

その手段としてその権力を最大限に使い、誇示する。

しかし、その与えられた職権とは何か。今現在その地位にいるというだけのもので、砂で作った城のようなものである。

いわば辞令一枚の職権でしかない。

それを何を勘違いしたものか自分を偉いと思いこみ、下の者をこき使い、優越感に浸る。

実に愚かなことなのだが、周りを見渡せばこのてあいの如何に多いことか。

こうして見てくると、従業員を安い賃金で長時間働かせる所謂ブラック企業の根源は、その企業の経営者であり管理職、或は人を使う立場の個々の人間であるといえよう。

そして、その元は、それら個人の愚かさであったり、自己顕示欲、他人に対する支配欲などの欲望の暴走であろう。

これらは一体何なのかというと、人間の本来持っている欲望に他ならない。

ということは、いくら制度を整えてもこういった欲望の強い人間を抑えることはできず、ブラック企業はいつまで経っても無くならないということではなかろうか。

本来、労働者を守る為に労働組合が存在するのだか、今では、彼らは会社の御用組合になっているか、あるいは本来の労組の使命をかなぐり捨てて政治闘争にのめり込んでいるかであり、どちらも本来救うべき労働者の役には全くたってはいない。

こう見てくると、ブラック企業などというものは、詐欺師や泥棒、暴力団などと同等なもので、これを抑えるには国家権力をもって特別な組織を作り、きめ細かな行政指導を行うしか方法はないように思われる。

posted by HOK大臣 at 16:44| Comment(0) | 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月06日

天下りの弊害


先に過労死は人災であるということを書いた。

件の会社は客観的にみればブラック企業ではない。

ほとんどの社員は、それなりに給料をもらっているし、残業もほとんどない。

これは全体からすればむしろ優良企業といってもよいだろう。

しかし、一人の社員、A君からみれば最悪のブラック企業なのである。

このような過酷な扱いを受けているのはA君ただ一人なのだから。

では何が原因なのか。

それは、上司であるB部長と社長である。

まず、B部長。

彼は人の上に立つ器ではない。

その器量も能力もない。

しかし、聞けば好人物だという。

例え、人は良くとも部下の労務管理もろくにできないことはおろか、自分の手に追えぬ仕事を部下に押し付けるなどとても人の上に立つ資格はない。

そしてA君が過労で病に倒れたのち、会社に復帰しようとした際、何のフォローもしなかったし、それを相談しようとすると逃げてばかりいた。

では、社長はどうか。

彼も実にいい加減な酷薄極まる人物である。

A君が過重な仕事でおしつぶされそうになっていることを知っていたにもかかわらず、研修という神経を使い、時間もかかる仕事を上乗せしたのである。

人が限界まで重い荷物を背負わされているのに、それにさらに重い荷を乗せたのだ。

これでは潰れないほうがおかしい。

それを、A君の過去の会社に対する大きな貢献も考えずに、長期病欠したという理由だけで平社員に降格する。

これほど理不尽なことがあろうか。

こうして見てゆくと、社員を過労死に追い込んだり、病気にさせるのはその上司の能力や人格である。

しかし、彼らが特別悪人かといえばそうではない。

ただ普通の人間である。むしろ、一人一人を見てゆくと善良とさえいえる。

では、何が原因なのか。

それは彼らが管理職としての能力が欠如しているからに他ならない。

そして人間としての基本的な資質、人のことを思いやる心、仁徳の欠如と、思考能力の欠陥であろう。

特に、部下に対する労務管理能力の無さが問題である。

特に直接の上司であるB部長はこれが大きく欠落している。

つまり、B部長は人を使う資質、能力に欠ける人物なのだ。

そして、社長もしかり。社員の過重労働を知ってか知らずか、それになおさら大きな負担を背負わせてしまった。

A君が病気になったのは、誰のせいでもない、他ならぬ社長の命令である。
自分が社員を病気にしておきながら療養機関が長いといって降格する。

これほど病気が長引いた原因は、自分にあるのもかかわらず、それをもって降格するなどおよそ道理をわきまえた人間のやることではない。

このような人倫にもとる人物を社長にした親会社の責任は重大である。

これは親会社からの天下り人事に問題がある。

つまり、親会社で使い物にならない愚かな人物や、問題を起こしたり、本社の役員として欠陥のある人間を子会社に天下りさせる。

親会社にとって厄介払いができて都合がよいかもしれないがこれを受ける子会社のほうは堪ったものではない。

天下ってくる管理職の全てがこうとは言わない。

中には優秀な人物もいることは確かである。

しかし、親会社から子会社への天下り人事というものは、えてしてこのような問題のある人物が社長や管理職として天下ってくるということも事実であろう。

親会社から天下りの幹部を受け入れている子会社の多くは、このような問題が潜在することを忘れてはならない。

posted by HOK大臣 at 16:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

過労死は人災である。



過労死は特別なものではない。

もちろん、制度の問題もある。

しかし、いくら制度を整えたところで、それを活用する人間次第で極楽にも地獄にもなりうるのだ。

つまり、その会社の経営陣もそうであるが、現場の仕事をさせる立場の人間次第で如何様にもなりうる。

さらに、その会社の雇用制度が良くなければなおさら下で働く人間にとっては悲惨なものとなろう。

一つの例をあげてみよう。

これは実際にあった話であるが、このようなケースはどこにもあるありふれた事例ではなかろうか。

中国地方のかなり大手の老人福祉会社での話である。

仮にA君としよう。

最近、大きな社会問題となったので、国も本気で力を入れ出した結果、現場の介護士の待遇や給与は次第に改善しているようだ。

反面、そのしわ寄せが、総務や会計などの事務職員に来ているのである。

彼は中途採用で6,7年ほど前に入社したが、この会社の事務職の給与は極めて低く、30歳越えても10万円台の半ばである。

勢い残業で稼ぐしかないのだが月100時間を超えても手取りは20万円程度。

そして、そのような残業をさせていることがまずいとでも思ったのか、上司の部長から残業をするなと言ってきた。

しかし、次から次へと過剰な仕事を言いつけられ、それをこなすには過重な残業をこなさなければ到底無理であった。

A君はやむなく残業を続けていたが、課長にするから残業は申告しないように言われ、実際は深夜までに及ぶ残業をしていたにもかかわらず、残業を申告しない、つまり、サービス残業を続けていたという。

しかし、その後、一年経っても一向に課長昇進の内示さえない。

そこへ、社長命令で役員研修を受けろと言われ、なおさら仕事は過酷を極めることとなった。

そうでなくても寝る時間も確保できないほどの忙しさである。これは到底無理な話であった。

数年待たされたあげくやっと課長の辞令が下りた時、彼はもはや体力的にも精神的にも限界に達していた。

とうとう、A君はうつ病に罹り、一年近く休職したが、あまり病状ははかばかしくない。

しかし、経済的に苦しくなったので職場に復帰しようとしたところ、驚くばかりの宣告を受けたのである。

長期間にわたる病欠を理由に、課長職は取り上げられ、全くの平社員に落とされるという。

そうなれば、給与は10万円代半ばまで半減し、残業で稼ぐわけにもいかないのである。

それを聞いたA君は、落胆のあまり、そうでなくてもはかばかしい回復を見せなかった病状が再び悪化してしまった。

彼は、現在、実家で病院通いを続けているが病状は一進一退を繰り返しているという。

どうであろう。このA君のように、徹底的にこき使われ、病気になれば平社員に降格される。

これは、会社からは辞めろとは言えないので自分から辞めて行くように仕向ける。

つまり、辞職させるための会社側の常套手段、追い出し作戦であろう。

出世の餌で釣り、サービス残業で骨の髄まで吸い尽くされ、病気になればお前は用済みだとばかり追い出しにかかる。

これは、私の知人の例だが、こういう事例はあらゆる企業ではありふれたことではなかろうか。

この会社はあきらかにブラック企業に間違いはないのだが会社側にはその自覚はない。

なぜならば、A君以外の職員はこれほど給与も低くないし、ほとんど残業もしていない。

これはどうしたことか。

問題はこの会社の給与体系とその構造にある。

もともと、この会社は、今まであった老人福祉施設を大手の企業が傘下に収めたもので、その給与体系は二重三重構造であった。

数社の会社が合併したのだが、そのとき、給与を統一することなく元の会社の給与体系のままで合併した。

そのため、一つの会社内で複数の給与体系が存在するという不思議な姿となったのである。

親会社のC社、その他に、D社とE社の給与体系が同じ職場内で併存している。

そして、採用時、A君はその一番給与の低いE社の給与体系に組み入れられた。

これはたとえ課長になろうとも、決して、もっと高い給与のC社、D社の給与を与えられることはない。

例え、机を並べている職員同士であっても、課長より経験年数も遥かに少ない平社員の方が高い給与をもらっているという不思議な現象が起きているのである。

詳しく説明すると、親会社Cから来た経営陣や社員とそれに合併された老人福祉施設Eの現場やその関連事務職の給与は大きく差が付いているのである。

親会社出身の人間は高給を食み、現場の地方採用の人間は極めて率い給与に留められ、これらが相交わることはない。

つまり、現地採用の人間は、退職するまでもとの低い給与体系のままで、けっして親会社並の給与をあたえられることはないのだ。

そして、その昇進も課長どまりである。

部長以上は親会社から天下ってくる。つまり、親会社で問題があったり、使い物にならない人間が(全員ではない。念のため)この会社の経営陣を占めているという。

こうして、この会社の現場採用の人間は、生涯、極めて低い給与に甘んじなければならない。

これでは、将来、結婚もできず、子供も持てない。

その為、若い男性社員は将来の展望がないため、次から次へとやめてゆく。

そして、残ったのはパートのおばさんや、家庭もちの主婦だけである。

彼女たちは、主人の収入があるためそのような安い給与でも不平は言わない。

そして、子供や家庭があるため、残業はしないし、責任ある仕事や過酷な仕事はしない。

いきおい、数少ない男性社員に仕事が集中し、オーバーワークとなるが、彼らは次々と過重労働と低い賃金に耐えきれず辞めてゆき、ただひとり残ったのがこの一番新しく入社したA君であったという。

こうしてA君ひとりには過重な仕事が課せられ、連日の残業となった。

それに加え、問題は上司のB部長である。

彼は、親会社からの出向組である。

親会社から天下ったというだけで、大した能力があるわけではない。

もし、彼が優秀であれば子会社などに飛ばされないであろう。

本来、自分の仕事であるものを、全部A君に丸投げしていたのだ。

そして機嫌取りに、課長にしてやるとの甘言を弄して酷使したのである。

その為、彼はオーバーヒートしてしまい、うつ病を発症した。幾度も死のうと思ったという。

もし、そこで自殺でもすれば、彼は過労死ということになるのだが、残業の記録がないのでそれを証明するすべはない。

サービス残業なのだから記録に残るわけはないのである。

では、労働組合に相談しなかったのか。

労働組合は会社の御用組合であり、なんら親身になって相談に乗ってくれることもなかった。

まさに八方ふさがりの状態で彼は極限まで追い詰められていったのである。

この会社自体の問題点は、その給与体系である。

地方採用の場合、元からいた親会社出身のパート上がりのおばちゃんより、いくら頑張って働き、役職は上になっても給与が上回ることはない。

これでは、若い人は、結婚することもましてや子どもを持つことなど夢の夢であろう。

これで多くの将来有望な若い人たちが辞めていった。

そして踏みとどまって頑張れば、その挙句は過労による病気。悪くすれば過労死である。

この原因は主に3つある。

まず、一つ目は先に述べた極端に安い給与である。

全てはこの驚くほど安い賃金にその原因はあるのだが、誰もこれを是正しようとしない。

同じ会社で同じ課にいながら、数種類の賃金体系が併存しているなどという理不尽極まる現状を変えようとしないのは、その会社の経営陣の責任である。

もう一つは、A君の上司のB部長。

過重な仕事で残業を繰り返していたA君の仕事の負担を少しも軽減しょうとはせず、さらに自分の手に負えない仕事までさせた。

そして、それをさせるために課長昇進というニンジンを目の前にぶら下げて、さらに働くことを煽ったのである。

この男。部下の労務管理もできない愚か者といってよい。とても人を使う能力も頭も資質ない愚か者なのだ。

こんな男を部長にした会社が悪い。

さらに、罪深いのはこの会社の社長である。

A君の過剰な労務を知りながら、さらに過重な研修を課した。これにより、今まで伸び切っていたゴムが限界に達して切れてしまったのである。

そして、自分やB部長のせいで病気に罹り、長期病欠となったA君をもう用済みとばかり平社員の落として追い出しにかかったのだ。

ある意味、A君の過重労働による病気は、その全責任責はこの社長にあるといえる。

社長である彼なら、給与や待遇をいくらでも改善することができたであろうし、A君一人でこなしていていた過重な仕事を新しく人を雇ってでも軽減させることもできたはずであろう。

また、自分の仕事さえ完全にこなせない部長をまだ仕事のできる人物と交代させることもできたはずである。

しかし、そのような努力は一切していない。

そこまでは許すこともできよう。

しかし、A君が職場に復帰した後、平社員に降格するなど、およそ情も理屈もわきまえた人間のやることではない。

そもそも、彼の病気の原因は全て彼に過重な労働を課した、社長である自分や上司のB部長である。

その自分たちの責任もわきまえずに追い出しにかかる。

これほど残酷で卑劣な人間があろうか。

こうして見てくると、過労死や労務疾病などというものの原因はすべて、その上司や管理職、経営陣の責任であると言っても過言ではない。

過労死に至るほどの過重な労働を命じたその上司の責任である。

つまり、今、問題となっている過労死は、全て人災であるということである。

彼らこそ正当な処罰を受けなければならないのではなかろうか。


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2018年02月03日

何故、善人は早死にするのか?


私は現在満で71歳、もう少しすれば72歳になる。

まだ孫は居ないのでおじいちゃんと呼ばれたことはない。

そのせいか、自分が老人であるという自覚は全くない。

しかし、振り返ってみると、実に多くの友人、知己をなくしている。

私の生涯を通じての親友、T君をはじめ、多くの大学時代の学友たち。

母校の教授であったO君、同じカッター部で艇指揮をしていたY君、そして何よりも親しかった田中君と吉田君。

彼らに共通していることは、たぐいまれなるやさしさと他人に対する思いやりであろう。

つまり、一言で言えば善人なのである。

もちろん、早く亡くなったからと言ってその全てが善人というわけではない。

しかし、多くの善人たちが早くあちらの世界に旅立っていることは確かである。

反対に、私のような世の中を斜めに見て文句ばかり言っている狷介極まる爺いに限って長く生きている。

まるで、意地の悪いことが長生きの秘訣でもあるかのようだ。

定年を迎え、晴れて自由の身になり、これから彼らと楽しく交流しようと思うときにはすでに彼らはいない。

何故、善人は早死にするのだろう。

おそらく、その鍵は彼らの優しさ、魂の高貴さにあるのではないだろうか。

多くのスピリチュア系の本には、この世は魂の修行の場であると書いてある。

私もそれは理解できる。

そういった面もあろう。

もし、そうであるならば、彼らの魂は、もはやこれ以上修行の必要がないほど磨きぬかれているのではなかろうか。

それ故、ある年齢に達した後は、この修行の学校を卒業してあの世に旅立っていったのだ。

私にはそう思えてならない。

ラベル:善人
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2018年01月29日

人間は体を動かさなければならない


私は昨年12月に腿の関節を痛め、これがつい最近まで続いていた。

原因はわからない。

突然、椅子に座っているとき、なんだか左の腿の付け根の関節がおかしくなった。

歩くと外れそうに痛い。

ついに耐えきれなくなり、わざわざ広島市内まで出かけていって、評判の良い整形外科に行った。

診察を受けた結果、腰骨が曲がっているのが原因という。

腰を温め、電気を当て、コルセットを巻いてもらい、バス停まで歩いた。

病院に行くまでは痛くてたまらなかったのが、嘘のように痛くない。

バス停まで1kmはあっただろうか。

その距離も難なく歩いてしまった。

ただ、痛いのは左の大腿骨の付け根である。腰ではない。

しかし、家に帰ると元の木阿弥。コルセットを着けても、病院で出された薬を飲んでも痛みは変わらない。

この病院はスポーツ医学では広島では名の知れた病院である。

この病院で変わらなければ、どの他の整形外科に行っても効果はなかろう。

そして、それ以降、病院に行くのはやめた。

そこで、考えた。

一体原因はなんだろう。

どう考えても、痛むのは左足の付け根の関節である。それが外れかかっているような感覚があり、強烈な痛みがはしる。

これは腰の問題ではなかろう。

多少、腰の曲がっているのは今に始まったことではない。

若いころからである。

今まで何にもなくて、急に痛みを発症するなど考えられない。

そうすればやはり大腿骨の付け根の関節が緩くなり外れかかっているのではなかろうか。

そう考えると思い当たる節がある。

我が家にある骨董品の寝椅子の座の底が抜けたので、私が応急処置で直した。

その椅子に寝てテレビを見ているうちに寝てしまった。

足の付け根にわずかに違和感を覚えたが、テレビを見るのに都合がよいのでそのまま使い続けたのである。

そうか、あれが原因か。

そして、一昨年の冬は天候が悪かったこともあり、極端な運動不足に陥っていた。

その為に太ってしまい、今まで履いていたズボンが皆穿けなくなり、背広の前ボタンが止まらなくなっていたのだ。

おそらくこれらの相乗効果でこの故障が発症したのではなかろうか。

つまり、運動不足による関節の弱体化と肥満による体重の増加。

それに、体に合わない椅子に長時間座り続けたこと。

この三つが原因ではなかろうか。

そう考えると全てがつじつまが合う。

私は、若い頃、東京の赴任地で11年間、古武道を習っていた。

広島に転勤になってからも、この面白さが忘れられず、十年近くのブランクの後、定期的に東京に通い、師匠に指導を受けていた。

そして、広島で道場を開き、弟子の指導をするように言われていたが、何分にも船乗り家業、ひと月に家にいるのは数日という有様では、とてもその時間的な余裕はない。

そして、定年を機に弟子をとることにし、なんとか三名ばかりの入門者を得た。

しかし、この三名とも地元の者はいない。

全て、県外や遠隔地から通ってくる。

稽古は彼らの都合のよい時に行う。

当然マンツーマンの個人指導であり、仕事や学業の暇を見て行うので大きくばらつき、偏りがある。

春から秋の気候の良い時は、ある程度平均しているが冬場には稽古の機会は少なくなる。

そして、気が付いた。

一昨年の11月の初めを最後に、昨年の春まで一回も稽古をしていない。

一番の原因は稽古不足によるものだったのだ。

それまでは一週間に一度は稽古で思う存分体を動かしていたものを、急にぱたりとそれがなくなったのである。

そう考え、以後は極力、体を動かすことにした。

まずは歩くことから。

足の付け根の痛みを考えながら少しずつ歩く距離を増やしていった。

そして、昨年の春、桜の咲くころには歩くには差し支えないほど痛みは少なくなっていた。

しかし、何かの拍子に痛むことがあり、まだまだ安心はできない。

その後、気候もよくなり、定期的に稽古も再開するに従い、足の具合も好転していったのである。

そして、昨年の夏。

暴飲暴食と熱中症のせいで胃が痛くなった。

空腹時に痛む。やたらとげっぷやおならが出て仕方がない。それがつい最近まで続いた。

そのせいで、気が付けばずいぶん体重が減っている。

五年前のズボンが穿ける。前ボタンが合わなかったジャケットが着られる。

そして、もう一つのことに気が付いた。

いつの間にか、左足の付け根の痛みはなくなっていたのである。

このことは何を意味するのだろう。

人間は体を動かさなければならない。

そのようにできているということなのである。


ラベル: 関節 痛み
posted by HOK大臣 at 18:11| Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

夢の風景


夢とはいったいなんだろう。

脳が作り出す虚像なのか。

単なる脳内におこる化学現象なんだろうか。

しかし、それには一つ疑問がある。

それは、その寝る場所が違えば見る景色も全く違い、寝る場所が同じであればその雰囲気や景色はほぼ同じであるということなのである。

また、同じ屋内でもその寝る部屋が違えばその見る夢の雰囲気も微妙に違うのである。

これは一体何を意味するのだろうか。

現実のこの世では、どこへ行こうが同じ風景や雰囲気が全く同じということはない。

風景そのものは、よく似たものはある。しかし、雰囲気はまるで違うのである。

ただ、旅行や他所に出かけ、家に帰ってくると、見慣れた我が家もまるで違って見える。

これは明らかに脳の作用であることがわかる。

ところが、夢の場合は違う。

夢の場合は、寝る場所により、その見る夢の光景、とくにその雰囲気は同じなのである。

これは、いったいどうしたことか。

私は過去、さまざまな箇所で寝ている。

子供の頃は故郷の我が家。その後は大学の寮や下宿での大学生活。そして、仕事の関係で多くの引っ越しを経験している。

そして、その住む場所によって夢の風景や雰囲気はまるで違っていて二つとして同じものはなかった。

この夢の中の風景の雰囲気も好悪がある。

子供時代、特に小学生以下のころの夢は実に温かく希望に満ち、きらきらとしたものであった。

そして、ごくたまにではあるが、まるで天国に遊ぶかのような名状しがたい美しさと感動を伴った至福の感覚に満たされた夢を見ることもあった。
心は幸福感で一杯になり、目覚めたあとでももう一度この夢を見ようと二度寝をして母にしかられたことも一度や二度ではない。

しかし、この素晴らしい夢も私の成長とともに見ることもなくなったが、その夢の風景や雰囲気はとても暖かく希望に満ちたものであった。

その夢の先にはなにか素晴らしい良いことが待っているように感じられたのである。

私の夢の世界は、父の死とともに幸福であった子供時代の記憶の残る家を出て、隣の広島県東部の町に移り住むに従い変化していった。

それ以後、住む地域を転々と住み代わるごとに、また、船に乗っているときはその船ごとにその見る夢の風景や雰囲気は変わっていったが、決して不愉快なものではなかった。

そして、定年退職後、今のマンションに移り住んだが、以来、ここで見る夢の世界の風景や雰囲気は決して愉快なものではない。

とくに、これが悪いというものではないのだが、その雰囲気がなんとなく嫌で不愉快なのである。

特にリビングでうたたねをしているときの夢の風景はなにか重苦しく不愉快でならないのである。
これは、私の子供の頃にあの輝きに満ちた夢とはまるで対極にあるように思われる。

こうして夢の風景やその雰囲気を考えると、ある可能性にゆきつく。
それは、夢とは何かということである。

もし、夢が、大脳の作る科学変化やその結果の虚像であるのなら、どこに居ようと同じ夢の世界や光景であるはずだ。

そしてその場合、その前後の経験に左右されるはずであろう。

それは、旅行や、他所へ行って帰った後の我が家の風景や雰囲気が違って見えるように、夢もその前に経験した旅行先の風景に影響を受けるはずである。

ところが、実際はそうはならない。

一日、我が家にいても、他所に外出して帰った後も、その見る夢の風景はおなじなのである。

これは一体何故なのか。

唯一考えられることは、この現実世界と重複し重なって夢の世界が存在するのではなかろうか。

そして、人が眠ると、その場所に重なった夢の世界に入ってゆく。

それ故、人は、同じ場所で眠ると、同じ風景や雰囲気の夢の場所に行く。

もちろん、これは物質の世界ではない。

あくまでも想念の支配する世界である。

突拍子もない考えのように思われるが、寝る場所が同じなろ同じ光景や雰囲気の世界の夢を見、場所が違えば、同じ家の中でもその見る世界は違うということを矛盾なく説明するとこのような結論に達するのである。

ラベル: 光景 風景
posted by HOK大臣 at 17:58| Comment(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

まだ生きている。これは奇跡なのだろうか、それとも神仏の御加護か?


先々週、わたしはとんでもない失敗をやらかしてしまった。

それは、単なる不注意ではすまないほどの致命的な事故であった。

普通なら私は今現在、この世にはいないか、あるいは重大な障害を負っていたかもしれない。

夜、テレビを見ながらソファで寝てしまい、気が付くと時刻は零時をまわっていた。
それから風呂に入り、パソコンを開いてメールをチェックしたあと、本格的に寝るためにシーツを整えようとベッドの上に上がった。

皺をとるためにシーツの両端手にを持ち、ベッドの端に立った途端、足元が大きく沈みバランスを崩して仰向けに倒れ込んだ。

ベッドの高さはおよそ60センチある。

私の頭部はそれから1.5mの位置にある。

つまりおよそ2.1mの位置から円弧を描いて私の頭が落下したことになる。

床は畳敷きである。

落ちながら、受け身を取れば大丈夫だろうと思った。

ところが、床から40センチの高さのところでぼんのくぼあたりに凄まじい衝撃が走った。

頭部で一番大切な場所、急所である。

もうだめだ。おそらく、次の瞬間には、私は死ぬかよくても半身不随になるだろう。

そう覚悟を決めてそのままの姿勢でしばらくじっとしていた。

まず、両手を動かしてみる。

問題なく動く。

おそるおそる足を動かす。

異常なし。

体を起こして座つて見るがどこにも異常はない。

何が頭に当たったのか見ると、なんとパキスタンで買ってきた頑丈な高さ40センチばかりの台である。

その角にしたたか頭を打ち付けたのだ。

極めて硬く丈夫な台で、わたしが座卓としてベッドの近くに置いていたものだ。

こんな硬い角に頭を打ち付けて無事で済むとは到底考えられない。

しかも、その衝撃は今までかってないほど激しく強烈なものであった。

おそらく、今は出ていなくても後から何らかの後遺症が出てくるに違いない。

そう思い、あちこち体を点検してみるが、打った腰が僅かに痛む程度で、頭の打った部分はこぶさえできていないのである。

あれから一週間以上たつがどこにも異常は見られない。

あれほどひどく硬い角に頭を打ち付けたのである。それも2m以上の高所から落ちたのである。

普通なら無事ですむはずはないのである。

私の頭骨がよほど固かったのだろうか。

それなら、それを覆う筋肉組織や皮膚に何らかの損傷があっても不思議ではないが、それさえもないしたんこぶもないのである。

これはどう解釈したらよいのだろう。

奇跡なのだろうか。

それとも神仏の御加護なのだろうか。

いまだに解けぬ疑問である。

ラベル:加護 奇跡
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2017年10月31日

撮り鉄と乗り鉄


9月の初旬。

家内から一日分の青春18切符を貰った。

もったいないので使用期限が切れるまでに使ってみることにした。

思えば最近、鉄道旅行をしていない。

山陽本線は、故郷との往復でよく使っているが、内陸山間部のローカル線にはあまり乗っていない。

中国地方の山間部のローカル線は本数が極めて少ないのである。

従ってよほどうまく乗り換えをしないと、次の列車に乗るまでに数時間も待たなければならない。

それだけ時間の無駄になるし、へたをするとその日のうちに家に帰りつくことができなくなってしまう。

そこで時刻表を調べ、まず、山陽本線で岡山駅まで行き、そこから伯備線に乗り換えて新見まで。

私は、この中国地方に住みながら新見には一度も行ったことがない。

昔は東寺の寺領として多くの歴史文献を遺している歴史ある町である。

新見から備中神代までは伯備線、それから芸備線で広島に帰るという計画を立てた。

新見で下車して町を散策し、昼食の為ローソンでサンドイッチと牛乳を買った。

この様子では、おそらく列車はがらがらだろうから車内で外の景色を楽しみながら食べるつもりであった。

初めての新見は思った通り、中国地方の山間部の小都市の例にもれず閑散としていた。

旧商店街も火が消えたようだ。

次の三次行きの列車に乗るために新見駅に向かう。

この列車を逃すと二時間近くも待たなければならない。

ホームに着くと驚いた。人で一杯なのである。

よく見ると皆一様に望遠レンズつきの高価な一眼レフのカメラを首からぶら下げている。

それと、リュックサックを負った老人たちのグループが数組。

待っていると備後落合行きの気動車がやってきた。

一両だけの車で、お見合い席が三分の一ほど。残りは通勤電車のような窓に沿って長い座席が2列である。

その車両が着くと、この数組の団体は我勝ちに乗り込んだ。

たちまち席は一杯になり、多くの人が立っている。

この人たちをよく見てみると、その服装からはどうも地元の人ではなさそうだ。

話声を聞くともなく聞いていると、関西弁や関東弁などずいぶん遠くからきているようである。

カメラをぶら下げている連中はそんなに年寄はいない。ほぼ中年のおっさんたちが中心だ。

それにしてもいいカメラを持っている。

これとは別のグループは一見山にでも登るような恰好をしているが、よく見ると、靴は本格的な登山靴は履いていない。

軽登山靴やウオーキングシューズの者もいる。リュックも登山家が持つような本格的なものではない、いわゆるデイパックというやつを背負っている。

しかもほとんどが老人である。少なくとも60歳以上、定年退職後の爺婆連中だ。

始めは今はやりのウオーキングのグループかと思ったが、靴が違うし、それほど本格的に歩くようにも思えない。

一体何者だろう。

そう思っていると車が動き出した。

単線の気動車はまもなく山間部を通り横には渓流が流れ、それに沿って走る。

突然、カメラを持った一人がその渓流に向かってシャッターを切った。

すると、それまで立ってがやがやしゃべっていた連中が一斉にカメラをそちらに向けてシャッターを切る。

反対の方向に向いていたり、窓のない場所にいた者までその窓に殺到し写真を撮る。

そうでなくても混みあっている車内である。

邪魔臭いことこの上ないし、カメラのシャッター音がうるさい。

なんだこの連中は。

それからも車窓の外の何でもないありふれた風景にてんでにカメラを向け、その都度車内を前後左右に動く。

なんとうっとうしいことか。

次第に腹が立ってきた。

がやがや大きな声でしゃべるのも耳につきいらいらさせられる。

それとは別の老人たちのグループは、ホームで並ぶ順番が早かったせいかそのほとんどが座っている。

この人たちは一体何をするのだろう。ただ、乗っているだけで、ろくに外の景色も見ずにしゃべっているが年を取って多少耳が遠いのだろう、声が大きい。

このグループは夫婦らしきカップルが多い。

ふと見ると、何か地図のようなものをもち、それの鉄道線路の上にマジックで線が引いてあるのが見えた。

表紙がちらっと見えたが、どうも鉄道地図らしく、「全国鉄道乗り尽くし?」のような題の本であったように思う。

カメラのグループはそのほとんどが備後落合で降りたが、反対側の上り列車が止まっているのに群がって写真を撮っている。

私はこれまで、鉄道写真を撮っている人はちょくちょく見かけたことはあったが、たいてい一人であったのでさして気にすることもなかった。

しかし、こうも大勢が団体で徒党を組んで写真を撮っているのは初めてで、これは実に鬱陶しいし見苦しい。何か異様な雰囲気である。

カメラのグループが備後落合で降りたので、多少、車内は空いてきて、中の様子が見えるようになった。

よく見ると、地元の年寄らしい人達、これは一見してわかる。

おそらく東城の病院に行った帰りなのであろう。あまり体調がよくなさそうな人達が座れずに立っている。

はっとした。

この車両は、地元の人達にとっては大切な生活鉄道なのである。

買い物や病院通いなど、付近の村々の老人達の唯一の交通手段だ。

いつもなら、この人達は悠々と座席に座れ、楽に移動できたはずである。

ところが今回は違う。よそから来た人たちに占領され、座るどころか立つのがやっとというありさまだ。

数人の地元の老人グループの中で、およそ90歳前後と思われる小柄なおばあさんの体調が悪そうで、蒼白な顔に額に脂汗がにじんでいる。

傍にいる二人の老人がこの人を支えていたがついに床に座り込んでしまった。

気の毒で見ていられなかったが、私自身が立っているのだからどうもしてやれない。

すると、リュックを膝に抱えて座り、大声で話していた他所から来た老人の声が聞こえた。

「気の毒やけど、私らも年寄やさかい代わってあげるとこっちがしんどいしな〜」

すると傍の話相手の老婆がいう。「そうや、こうして楽しゅう話もできんようになるしなあ」

何という連中だ。

確かに連中は年寄には違いないが、せいぜい60を超えたぐらいで鉄道旅行をするだけの元気も経済的な余裕もある。

地元の人たちはそう長くは乗ってはいないだろう。せいぜい駅にして数駅程度ではなかろうか。

その短い区間でさえ代わってやることができないのか。

そう思うと腹が立ってきた。

「代わってやれよ」と言おうと思い近づいてゆくと、車両は次の駅にとまり、先ほどの老人は友達に支えられて降りていった。

このときを機に私の不愉快指数はぐんと跳ね上がった。

折角の楽しいはずの久々の鉄道旅行が台無しになろうとしている。

おまけに立ちっぱなしで少々疲れてきたし、お腹もすいてきた。

新見で買ったサンドイッチを食べるどころではない。

とうとう終点の三次まで食べることができなかった。

三次で広島行きの芸備線に乗り換えた。

この列車は、数両の車両が連結されていて始発であるところから車内はがらがらである。

やれやれ、これでようやく座ることができるし遅い昼食を摂ることができる。

ほっとして、お見合い席の窓側に座り、サンドイッチを取り出そうとしたしたとき、先ほどの車両に乗っていた爺婆夫婦が私の前の席に座り、隣に別の爺さんが座った。

そして座るや否や隣の爺が向かいの夫婦に向かって大声でしゃべり出した。

私の前に座っている婆さんが要領よく相槌を打つものだから隣の爺さんは余計に調子にのって喋りまくる。

大きな声を張り上げ煩い。何しろ私の耳元でしゃべるのだからこれはたまらない。
そして話している内容は自分の自慢話ばかり。

これではゆっくりお昼を食べることもできない。

周りを見渡すと全く人の座っていない席がずいぶんある。

それなのにそちらの方には座らず何故私の前や横に座るのか。

いずれにしても不愉快極まるし、お腹が空いて我慢できなくなったので空いている他所の席に移動した。

そしてやっとのことでサンドイッチを食べ、牛乳を飲んで人心地が付いたが、もう時刻は午後3時を回っていた。

こうして、私の久々の鉄道旅行は不愉快な旅となってしまったのである。

それにしても、あの二種類の異なったグループは何なのか。

ネットで調べてみると、カメラを持っていたグループは撮り鉄というらしい。

彼らは日本各地で問題を起こしているという。

ただ、一人で周りに気をかけながら写真を撮る分には問題はない。

ところが徒党を組むと集団心理が働き、傍若無人な行動をとるようになるのだろう。

もう一方の、ただ鉄道車両に乗ることだけが目的の人達を乗り鉄というらしい。

こちらの方は暇と金を持て余した定年過ぎの老人がほとんどだ。

彼らは外の景色を楽しむわけではなく、ひたすら鉄道に乗ることだけを目的としているらしく、鉄道地図の線路を塗り尽くすことだけが目的のようだ。

撮り鉄と乗り鉄。何れにしても周囲の人を不愉快にするような無神経な言動は止めてもらいたいものだ。

とくに、山間部の生活鉄道の場合は、地元の人達に遠慮して行動しなければならない。

この日、私が見聞きしたことは、日本人も中国人の不作法を笑う資格はないということである。

彼らと大して違いはない。

特に、若い人たちならともかく、人生経験を積んだ老人たちがこれでは、我が国の国民の民度もあまり高いとは言えないのではないか。

もちろん、撮り鉄、乗り鉄と呼ばれる人達全員がこうとは言わないが、このような他人の迷惑を考えないような人たちがいるということも事実である。

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2017年10月29日

店頭から消えたエキナセア


今年も風邪の流行する季節がやってくる。

私は、この季節に備えて、いつもエキナセアを常備している。

前にも書いたので、詳しくはそちらをお読みいただけたらと思うが、これが最近、店頭から姿を消している。

今までは、近所のドラッグストアに行けばいつも置いてあったので、切らしていても気にはしなかった。

いつでもその店に行けばあると思っていたからである。

ところが、最近、急に朝晩が寒くなってきたせいか、少し寒気がする。

これは風邪の引き始めかなと思い、近所のそのドラッグストアに行った。

ところが、いつもあるその場所にはエキナセアがない。

たまたま切らしているだけだろうと思い、数日たって行ってみても置いていないのである。

これはいけない。

たぶん、新たに仕入れるのを忘れているのだろうと思い、よその店にあたってみることにした。

他のどのドラッグストアにも必ず置いてあったからである。

ところが、どの店を探しても、このエキナセアは姿を消していた。

代わりに申し合わせたように全く薬効のないサプリメントが置いてある。

何故だろう。

売れないからであろうか。

それとも、例え売れてもメーカーや店の利益が少ないからか、或は生産中止になったからであろうか。

その辺のところは店員にきいてもよくわからないという。

いまや、テレビでは、健康食品やサプリメントの宣伝の花盛りである。

効きもしないものを思わせぶりなコマーシャルで視聴者を釣り、だましてバカ高い値段で売りつけている。

テレビでコマーシャルをやっているサプリメントはまず、その薬としての効果は期待できない。

薬として認められていないのだから当然であろう。

それをバカ高いお金を払って飲むことほど愚かなことはない。

単なる自己満足でしかなく、お金をどぶにすてるようなものだ。

そのような有象無象のサプリメントのなかで、ただ一つ、確実に効くものがこのエキナセアであったのだ。

これは、自己の免疫力を高める効果があり、そのため、病原菌による感染症や化膿、そして薬では効果のない風邪のビールスにも著しい効果がある。

例えば、目にものもらいができた場合でも、なんだか目がごろごろするなと思った初期の段階で飲むと、次の日は目が腫れ上がるところが3〜4日もたてばそれ以上悪化することなく治ってしまう。

風邪でも、初期の段階。なんだか寒気がすると感じた段階で飲めばそれ以上悪化することはない。

私は、在職中は、航海に出かけるときは必ずこれを持って行ったものである。

これ以上頼りになるものはないのである。

ある時、知人がこれを試したところあまり実感がないという。

よく聞いてみると、飲む量が少ない。

日本のメーカーがその箱やボトルに書いている摂取量は余りにも少ない。

このとおりの量を飲んでいたのでは全く効果がないのは当たり前である。

およそ、その3〜4倍はとる必要がある。

体の小さい人はその成分量に換算して900mgを一日に飲まなければ薬効は期待できない。

成人で体の大きい人や肥満している人はそれ以上とらなければならない。

なぜ、メーカーはこういった嘘を書くのだろう。

それはわからないが、これはメーカーにとってはあまり儲けにはならないからではなかろうか。

その原料はとても安価なものであるので、メーカーとしてもあまりべらぼうな値付けはできない。

何しろ、アメリカではひと月分が5ドル前後で買えるのだから。

こうして近所のドラッグストアで買えなくなったエキナセア。通販で買うしか方法はなさそうだ。それとも直接アメリカから取り寄せようか。

いずれにしても面倒なことにはまちがいはない。

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2017年10月19日

鉄道の旅を楽しむ

私は鉄道の旅が好きである。

これは鉄道に限らず、バスの旅でも同じだから、特に鉄道そのものが好きなわけではない。

車窓を流れる風景を楽しむ。

この一点に尽きるのである。

外の風景を眺めながら好きな音楽を聴く。まさに至福のひとときである。

アイポッドに好きな音楽をいれて、周囲に音漏れがして迷惑をかけないように、カナル形のヘッドホンで聞く。

カナル型のヘッドホンは、耳の穴の中にイヤーチップが完全に入っていて、ちょうど耳栓をした形になるので音が外に漏れないのである。

従って、周囲の人には全く音が聞こえないから完全に自分だけの世界に入り込むことができる。

音が外に漏れないということは、逆に外の音も聞こえないということで、車内放送も聞こえない。

これは少々困ることではあるのだが。

このようにして音楽を聴きながら外の景色を眺めていると、その外の景色全体が何かある意味をもっているかのように感じられるのである。

つまり、舞台で芝居を見ているように、遠くの山並みが、近くの家々が、そして、歩いている人さえも芝居の一場面を切とったように感じられ、心の底から感動する。

これは、私だけのひそかな楽しみ、悦楽である。

だから、私が鉄道やバスに乗るときは必ず一人だし、絶対にカメラなぞ持ち歩かない。

カメラを持っていると、どうしても良い景色に出会うと撮りたくなる。

カメラを取り出して写真をとっていると、折角の私だけの劇場が中断され、あの至福の感覚が醒めてしまうからである。

私にとって大切なのは、車窓の外の景色や風景なのであり、機関車や車両そのものではない。

先に言ったように、鉄道やバスに乗り、その車窓に流れる風景を味わい尽くす。

これが大切なのである。


ラベル:鉄道 風景
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2017年09月28日

宮島の大聖院・・・お経の大迫力


宮島。

ここに参詣するのは三つの目的がある。

一つは言うまでもなく厳島神社である。

もう一つはこの厳島神社の出口からすこし上ったところにある大聖院という真言宗の寺院。

そして三つ目は厳島神社の背後にある弥山である。

弥山は標高535m。下からこれに登るには丸一日かかるが、途中までロープウエイがあるのでこれを利用すれば比較的楽に頂上まで行ける.。

しかし、この終着駅から弥山の頂上まではかなりの距離があるし、まだまだ険しい山を登らなければならないので齢70を超えた今現在は少々きつい。

したがって、最近では、厳島神社と大聖院にだけはお参りしている。

厳島神社は初詣に行ってお札をいただいて神棚にお祀りしているし、大聖院では波切不動さんのお札が目的で参拝している。

今年は正月には宮島には渡れず、少し遅れて参拝客の減ったころを見計らって行った。

まず最初に厳島神社に詣でてお札をいただき、次に大聖院に向かう。

急な階段を登りつめると正面に波切不動さんの祀られている勅願堂が見え、右手にもは十一面観音様の祀られている観音堂がある。

まず、右手の観音堂に靴を脱いで上がり、観音様の前に座ったとき、突然読経が始まった。

朗々と響き渡る読経の声は私の心を震わせ、ドンドンという太鼓の音が周囲の空気を震わせ、腹の底まで響き渡る。

その太鼓の音はすさまじい迫力で私を圧倒し、臍下丹田に直接ビンビン響くのである。

まるで全身をお経と太鼓で揉みほぐされているようで、あまりの圧倒的な迫力にしばらくの間立つこともできない。

私はこれまでこのような心の底にまで届くような強力で激しいなお経を聞いたことがなかった。

これに比べればジャズなんぞ屁みたいなものだ。

それほどこのお経は、私の心も体も振るわせ、揺り動かしたのである。

しばらくするとそのお経は止み、周囲はもとの静寂を取り戻した。

我に返った私は、勅願堂でお不動さんにお参りし、お札をいただいて帰路についた。

前にも書いたが、この夏は暑かったせいか頗る体調がわるい。

特に胃の痛みには閉口した。

しかし、9月に入り、少し涼しくなると体調も回復し、彼岸の墓掃除も大過なく終えることができた。

胃の痛みもほぼ収まり、体調もよい。

しかし、何か一枚体にへばりついている様な気がする。

これを剥がしてすっきりしたい。

そう思っていると、ある思いが浮かんできた。

あの大聖院の読経と太鼓。あの中に身を置いたらどんなにか身も心も清浄になることだろう。

もう一度あの声と音を聞きたい。

そう思うと矢も楯もたまらず、気が付くと宮島行きのフェリーに乗っていた。
今日は快晴である。雲一つない。

宮島に渡って驚いた。

暑いのは間違いないのだが水面を渡ってくる風が実に心地良い。

順路からするとまず厳島神社からお参りしてその出口からまっすぐ山に向かって歩けば大聖院である。

今まではその順番で回っていた。

しかし、今回は、大聖院の観音様が目的である。

そこで、厳島神社参拝はあとに回し、真っ先に大聖院の観音堂に向かう。

心配していたのは、あの読経のテープが流れていないことであった。

その場合は、お寺の人に頼まなければならないだろう。

しかし、近づくと読経と太鼓の音が聞こえる。

大急ぎで靴を脱いであがり、仏前に額づく。

読経の声と太鼓の音は、前に聞いたよりさらに大きく激しくなる。

読経のスピードはだんだん速さを増し、太鼓もいよいよ急テンポとなりついにクライマックスに至る。

なんという迫力であろう。

読経は心を揺さぶり、太鼓の音は臍下丹田に響く。

圧倒的な迫力で私の心身を揺さぶるのである。

今回の読経は前より遥かに強く激しく感じられた。

これは一体何というお経かわからない。

読経のテープが終わったので、勅願堂のお不動さんとその上の大師堂にお参りし、大聖院を後にした。

そのあと厳島神社の入り口までとって返し、厳島神社を参拝してフェリーに乗り、私鉄の電車に乗って帰った。

驚くことに、本日は体調が素晴らしくいいのである。

全行程6km余り。さらに大聖院はかなりの高台にあり、そこまで急な坂や階段が続く。

しかし、全く疲れはない。

おまけに快晴で日差しは強いのに風は涼しい。

今日は宮島にお参りして本当によかった。心からそう思ったものである。

昼過ぎに家に帰り、ソファに寝転んでテレビを見ていたらいつの間にか寝てしまっていた。

突然激しい歯の痛みに襲われた。左右の歯が全部浮き、噛みしめるといたいのである。

これは何だろう。

数時間、この痛みが続き、何にも食べることができなくなった。

食べ物が全く噛めないのである。

歯全体が浮いて押すといたい。

このような経験は生まれて初めてである。

しかし、数時間経つと嘘のように治まった。

以後、このような歯痛は起きてはいない。

一体これは何なのだろうか。

そこではっと気が付いた。

宮島にお参りすると必ず家に帰ったあと、何らかの体調変化がある。

そういえば、今年の正月明けに家に帰るとひどく疲れが出て、風呂に入ると嘘のようにその疲労が消えてしまった。

そしてこの8月の古武道の演武会のとき。

このときも家に帰ると猛烈な足のこむら返りで苦しんだ。

そして今回の歯の痛みである。

全て、宮島から家に帰った後に体の変調に襲われたのである。

これは宮島の神仏と何か関係があるのであろうか。

悲しいかな、霊感のない凡人である私にとって、この意味するところや原因はさっぱりわからない。

ただ一過性のものなのであまり気にはしていないのだが。

posted by HOK大臣 at 13:21| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする